
何十年も風雪にさらされてきた木の、年輪を重ねた枝ぶりを写した真柏。 / Photo: Azukari
盆栽展を初めて訪れた人は、しばしばこう思います。木の形は誰かが紙の上で「美しい形」を考え、それに合わせて木を仕立てているのではないか、と。実際はその逆です。盆栽作家が教わることのほとんどは、発明されたものではなく、観察されたものです。
盆栽の名のついた樹形はどれも、人が植えたのではない場所で、すでに生きて、すでに形づくられていた本物の木を写し取ることから始まっています。
手本であって、発明ではない
盆栽には、名前のついた樹形の語彙があります。まっすぐな幹を持つ直幹(ちょっかん、"formal upright")、緩やかに曲がる模様木(もようぎ、"informal upright")、鉢より下に垂れ下がる懸崖(けんがい、"cascade")、その他さまざまな型。これらは先に紙の上で決められ、その後で自然の中に探されたものではありません。むしろ順序は逆で、育て手がすでに目にしていた木に、後から名前がつけられました。開けた土地に一本だけまっすぐ立つ松。庭の小道に穏やかに枝を伸ばす楓。崖の縁から流れ落ちるように垂れる真柏。この語彙は観察の記録を、あとから整理したものにすぎません。若木を仕立てる作家は、形を発明して木に着せているのではなく、かつて自然が見せてくれた形を、覚えている限り正確に再現しようとしているのです。
崖の松、谷の楓
この語彙のなかでも特に大きな役割を果たしているのが、二つの環境です。吹きさらしの海岸と、木々に守られた谷です。
日本の黒松(くろまつ、"Japanese black pine"、学名 Pinus thunbergii)は本州・四国・九州の海岸に自生し、絶え間ない潮風とやせた砂地の中で、恒常的に風に傾いた姿になることがあります。幹はその圧力に折れるのではなく曲がり、その曲がりが何十年ものあいだに固定されていきます。盆栽の吹き流し(ふきながし、"windswept style")は、幹だけでなくすべての枝を一つの方向へなびかせるように仕立てる樹形で、まるで生涯ずっと風に吹かれ続けてきたかのような姿を表します。これはまさに、今も日本の海岸線に立つこうした松の姿から、直接写し取られた型です。
一方、山の谷が教えてくれるものは違います。楓・紅葉(かえで・もみじ、"Japanese maple"、学名 Acer palmatum)は林床の木で、低い山のやや湿った斜面、背の高い木々の陰になる柔らかな光の中に多く自生し、根はすでに地面にある石を避けながら伸びていきます。根が越えられないほど大きな石に出会うと、その表面を這うように包み込みながら太くなっていきます。盆栽の石付き(いしつき、"root-over-rock style")は、まさにこの姿を写したもので、根が石を目に見える形で抱きながら土へと達し、木と石が一緒に年を重ねていく樹形です。このシリーズの次の記事では、山の谷の木がさらに何を教えてくれるかを見ていきます。
理想の樹形は、すでに山にある
この考え方が最も直接に表れているのが、山採り(やまどり、"collecting trees from the wild")です。苗木畑の木ではなく、山そのものから木を採取する方法で、薄い土、厳しい風、短い生育期間を何十年も重ねた木は、同じ年月をかけて育てた栽培木にはまねのできない味わいをすでに備えています。山採りの松は、人の腕ほどの高さしかなくても、それを手入れする人よりも長く生きていることがあり、幹は太く、樹皮は栽培木が経験したことのない年月の分だけ深く割れています。霜や落雷を経て山の木が身につける白骨化した神(じん)や舎利(しゃり)については、別の記事で詳しく触れています。そのどれも、急いで作ることはできません。その種の年月を求める育て手にとって、正直な選択肢は一つだけです。すでにそれを生きてきた木を、探しに行くことです。その探索と採取が実際にどう行われるかは、別の記事で見ていきます。
自生の姿を知ると、仕立てられた木の見え方が変わる
実際に海岸の松や谷の楓をじっくり観察した経験があると、盆栽はただの装飾ではなく、一つの主張として読めるようになります。この幹は風に耐えたと語り、この根は石を避けて育ったと語る。そしてその主張は、それが写し取っている本物の木と照らし合わせることで、確かめることができます。それは、形そのものを愛でる見方とは違う種類の見方であり、育て手が今も型録の中からではなく、山や海岸を実際に歩いて型を確かめ続ける理由でもあります。型録が存在できているのも、誰かが先にそこを歩いたからです。
結び
盆栽作家の学びは、技術を身につけたところで終わりません。針金かけや剪定が身体に染みついたあとも、作家は繰り返し、開けた自然の中に戻っていきます。海岸、渓谷、尾根に残る古木の群れ。教科書は、そもそも本ではなかったからです。木そのものが、教科書でした。
Azukariが続けている仕組みも、この姿勢を支えています。木は日本にとどまり、長年この道を歩んできた作家が、今も目の前の木だけでなく、その外側にある自然を見つめ続けながら手入れをしています。幹の線を、頭の中にある山の姿と照らし合わせながら。遠くにいる持ち主が、その見る力を失うわけではありません。むしろ、最初から発明されたのではなく、ただ気づかれ、大切に受け継がれてきた形を持つ一本の木に、加わることになります。
参考リンク
- Bonsai Empire — Bonsai Tree Styles — 吹き流し(fukinagashi)の解説。「生き延びるために苦闘してきた木の典型例で、幹だけでなく枝も、まるで風がずっと同じ方向に吹き続けてきたかのように一方向に伸びる」との記述。
- Bonsai Empire — Collecting Trees from the Forest (Yamadori) — 山採りの木が珍重される理由について。厳しい自然環境の中で自然に矮小化した生育が、栽培木には出せない特徴をもたらすと説明。
- Bonsai Empire — Rock Planting — 石付き(ishitsuki・sekijōju)の解説。岩の上や中で「厳しい環境の中で養分を求めて苦闘する」木の姿について。
- Seattle Japanese Garden — "Pine Trees, Part Two: Matsu, the Pines of Japan" — 黒松が海岸に自生する樹種であること、「海岸の強風に打たれて生まれる矮小でねじれた樹形」を盆栽が表現している、との記述。
- 三河の植物観察 — イロハモミジ — イロハモミジ(Acer palmatum subsp. palmatum)が「山地のやや湿った場所」に自生するとの記述。