
吹き流しの原型となった海岸性の樹種、黒松 / 写真: Azukari
17世紀の初め、唐津藩の大名・寺沢広高は、佐賀県唐津湾の砂丘に沿って松を植えさせました。目的は景観ではなく、藩が海から干拓したばかりの農地を、風と飛砂から守ることでした。それから4世紀。広高が始めたこの松原、虹の松原は、いまも海岸沿いにおよそ5キロメートル続き、黒松は100万本近くに達するとも伝えられています。そして、その一本一本の幹が、同じ方向へ傾いています。誰かが曲げたのではありません。曲げたのは風です。海から陸へ向かって吹く同じ風が、その松原のどの木よりも長く、そこに吹き続けてきました。
同じ傾きは、唐津だけでなく、日本各地の松の生える海岸で見られます。開けた海に面して育つ松は、風を受ける側の枝が細り、風下側の枝が厚くなり、世代を重ねるうちに一本の木が、やがては松原全体が、内陸を指す一つの動きのように見えてきます。
盆栽の吹き流しという樹形は、作家の発明ではありません。何百年もの潮風が松の幹に書き込んできたものを、鉢の中に写し取ったものです。
海岸の松は片側だけで風を受け流す
この姿を最もよくつくり出しているのが黒松(くろまつ、"Japanese black pine"、学名 Pinus thunbergii)です。本州・四国・九州の海岸と韓国に自生し、塩分と大気汚染への耐性が高いことで重んじられてきました。繊細な樹種ではなく黒松が日本の海岸線の姿そのものを決めることになった理由の大きな部分は、ここにあります。開けた海のそばに根を張った松は、生涯にわたって一方向から風を受け続けます。全方位で均等に耐えるのではなく、風上側では成長を譲り、風下側で余分に枝を伸ばす。その積み重ねの末に、幹は数十年かけて一方向への傾きとして定着し、風を受け続けた側の枝は次第に減っていきます。一見すると傷んでいるように見えるものが、実は適応の記録である。この二つを見分けられるようになることが、実際の海岸で松を学ぶ者がまず身につける目です。
吹き流しは、すべての枝に同じルールを通す
この傾いた姿には、盆栽の型として名前がついています。吹き流し(ふきながし、"windswept"、字義通りには「吹かれて流れる」で、祭りなどで揚げる筒状の吹き流しと同じ言葉です)です。直幹や模様木と並ぶ盆栽の樹形の一つで、要点はたった一つのルールに尽きます。枝は他の松と同じように幹のあらゆる側から出ますが、そのすべてが最終的に同じ方向へ曲げられる、ということです。幹の傾きは垂直から60度から80度ほどになるのがこの樹形の典型ですが、傾いているだけでは吹き流しにはなりません。模様木も傾きを持つ樹形だからです。吹き流しを吹き流したらしめているのは、本来なら上や外に伸びようとする「逆側」の枝までも針金で下げ、他の枝と同じ流れに揃えるところにあります。そうして初めて、木全体が一つの動きとして読めるようになります。仕立てるのは容易ではありません。「風に吹かれただけの木」ではなく一本の実在する木として読めるところまで持っていくには、辛抱強い剪定と針金かけ、そして整姿が要ります。
三保の松原にも、同じ風が働いた
唐津に寺沢広高が植えさせた虹の松原は、特別な一例ではありません。日本の海岸で繰り返されたパターンの一つにすぎません。防風のために植えられ、のちにその美しさゆえに守られ、訪れられるようになった松原です。

虹の松原(佐賀県唐津市)の林内。植えられて4世紀を経たいまも、幹はまっすぐ立たず傾き曲がっている。/ 写真: そらみみ(Soramimi), CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons — 出典
静岡県の海岸にある三保の松原も、別の海岸から同じ物語を語っています。駿河湾越しに富士山を望む7キロメートルの松林と白砂の海岸で、1922年に名勝に指定され、2013年には富士山の文化遺産の構成資産としてユネスコ世界遺産に登録されました。どちらの松原も、はじまりは海岸を暮らせる土地に変えるための実用的なインフラであり、鑑賞のために設計されたものではありません。それが鑑賞に値するものになったことは、木自身が計画したことでも、植えた人々のすべてが見通していたことでもありませんでした。植えたあとの世代を超えて松に吹き続けた風だけが、この仕事を仕上げたのです。
厳しさは装飾ではなく、形そのものである
ここが、盆栽作家が最も重く受け止める部分です。海岸の松の美しさは、その形を得るために耐えてきたことと切り離せません。風を避けられる谷間で育った松は、吹き流しのような姿には決してなりません。そうなる理由がないからです。傾き、片側に偏った枝ぶり、風に梳かれてまばらになった葉のすべてが、木自身の意志とは無関係に、何年もかけて木部に刻まれた抵抗の記録です。鉢の中で吹き流しを仕立てる作家がしているのは、本物の厳しさが幹に何をもたらすのかを枝の一本一本まで見極め、その論理に忠実な形をつくることであって、木を「風に痛めつけられたように見せて」装飾することではありません。だからこそ、この樹形はごまかしが利きにくく、誤りやすくもあります。実際の風上の木でその枝が生えているはずのない位置を無視して下げた針金は、不自然に映ります。海岸の松自身の理屈に沿った針金だけが、真実味を持って映るのです。
鉢の中の仕事を測る基準は、海岸にある
これは写真だけでは学べません。だからこそ、吹き流しを本気で仕立てる作家は、針金を掛ける前に、実際の海岸線を歩くことを大切にします。三保の松原、唐津湾、あるいはいまも風が仕事を続けている現役の防風林(ぼうふうりん、"windbreak forest")。そこで持ち帰るのは、決まった型というより、いくつもの観察です。傾きがどこまでなら自然に見え、どこから折れて見えてしまうのか。風下側であっても、海岸の松がなお枝を残している場所はどこか。樹冠は消えてしまうのではなく、どのようにまばらになっていくのか。

三保の松原(静岡県)の、松林が砂浜と接するきわ。作家が針金を掛ける前に歩くのは、こうした場所である。/ 写真: Twilight2640, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons — 出典
それらの観察が、その後、作家が海岸を離れてからも、季節ごとに吹き流しを育てる際の基準であり続けます。同時にそれは、吹き流しの木を前にした人が使える物差しにもなります。すべての枝が同じ風に応えているか、風下側の枝まで含めて確かめる。そして樹冠が、消えてしまうのではなくまばらになっているかを見る。一本だけ逆方向へ伸び返している枝があれば、その木の風はたいてい、海岸から読み取られたものではなく作業台の上で加えられたものです。
形はすでに書かれている。仕事はそれを読むことにある
盆栽の作家は、吹き流しという形をゼロから発明するわけではありません。その形はすでに、どの盆栽園よりも長く同じ風を受け続けてきた海岸の松の中に、ゆっくりと書き込まれています。虹の松原の幹が、いまも寺沢広高の時代の17世紀の風を4百年後に伝えているのと同じ理屈です。作家の仕事は発明というより翻訳に近く、自然がすでに厳しさの中で作り上げたものを読み取り、同じ気候を宿すに足る、鉢に収まる一本をつくることです。良い翻訳は、原本にどれだけ近づけるかにかかっています。だからこそ吹き流しを仕立てる作家は、記憶だけを頼りにせず、何度も海岸に戻ります。Azukariは、その近さをたまの機会ではなく仕組みとして木の預かり方に組み込んでいます。木は日本にとどまり、その形が答え合わせをする海岸から数時間の距離で、必要なときにいつでもそこへ戻れる作家の手のもとに置かれます。オーナーのもとに季節ごとに届くのは、風そのものではなく、風を誠実に写し取った記録です。
木の形の見方や読み方については、「樹形という設計図」、「自然が最高の教科書」、「懸崖という挑戦」もあわせてお読みください。
参考リンク
- Bonsai Society of Greater Cincinnati「Windswept "Fukinagashi"」 — 幹の傾きがおよそ60〜80度であること、枝が風向きと逆の側に主に伸びること、葉がまばらで長く伸びること、この樹形を仕立てるのが容易ではないことについて。
- Bonsai Empire「Bonsai Styles」 — 吹き流しでは枝が幹のあらゆる側から出るものの、そのすべてが最終的に一方向へ曲げられるという説明。
- Wikipedia「Pinus thunbergii」 — 九州・四国・本州の海岸沿いと韓国を自生地とすること、塩分や大気汚染への耐性で重んじられること、盆栽の代表的な樹種であることについて。
- Wikipedia「Miho no Matsubara」 — 三保の松原が7キロメートルにおよぶ松林であること、駿河湾越しの富士山の眺め、1922年の名勝指定、2013年の富士山の文化遺産としてのユネスコ世界遺産登録について。
- Wikipedia「Nijinomatsubara」 — 虹の松原が17世紀初めに唐津藩の大名・寺沢広高によって、干拓事業の一環として防風・防砂のために植えられたこと、全長およそ5キロメートルであること、黒松が100万本近くに達すると伝えられていることについて。
- Wikimedia Commons — 掲載画像の出典とライセンス: Niji Pine Grove 4.jpg(写真: そらみみ / Soramimi, CC BY-SA 4.0)、Shizuoka Miho no Matsubara pine grove.jpg(写真: Twilight2640, CC BY-SA 3.0)。