
多くの盆栽の葉は、手のひらで触れると柔らかく、わずかに樹脂の香りがして、ひんやりと心地よいものです。けれどtosho(杜松、"needle juniper, 針葉を持つビャクシン")の葉は違います。三本一組で、それぞれ別の方向を向いた葉の先は鋭く尖ったまま。うっかり触れれば、指に跡が残るほどです。かつて日本の農家は、この性質をそのまま暮らしに役立てていました。切った枝を壁や軒先の隙間に差し込み、ネズミよけとして使っていたのです。この木の古い呼び名の一つ、nezu(ネズ、"nezumi-sashi"(鼠刺し)の略、"mouse-piercer, ネズミを刺すもの")には、その名残がいまも残っています。
盆栽として育てられる杜松の中でも、この木だけは野性の鋭さを手放しませんでした。葉にも、荒々しい枯れ姿にも、そして松柏の中で真柏に次ぐ人気にも、その野性は表れています。
どこにも好まれない土地で育つ木
自生地におけるJuniperus rigida(杜松の学名)は、身を寄せる場所を探すような木ではありません。日本国内では岩手県以南の本州から四国、九州にかけて分布し、山地の尾根、日当たりのよい花崗岩の斜面、そして瀬戸内海沿岸の岩場を好みます。どれも、乾いていて土が痩せた、他の木がなかなか根を張れない土地です。日本の外では、朝鮮半島から中国北部、ロシア極東の南東部にまで分布域が広がり、標高にしてほぼ海抜ゼロメートルからおよそ2,200メートルまで見られます。逆に苦手なのは、根が常に湿った状態です。乾燥と水はけのよい痩せ地に適応してきた木だけに、水がとどまる場所では育ちにくいのです。日本では寺院の庭にも観賞用として植えられてきており、盆栽として好まれるのと同じ、荒々しい佇まいがそこでも評価されてきました。
このように厳しい自生地は、植物学的な事実にとどまりません。尾根に踏みとどまる古い真柏に神や舎利を刻むのと同じ力が、海を見下ろす花崗岩の岩場に根を張る杜松にも働きます。風、乾燥、そして倒れずに立ち枯れた一本の枝。そうした場所から採取された杜松は、鉢の中で過ごした年数以上に古く見えることが少なくありません。それは、その後どれほど手をかけても、後から作り出すことのできない木の資質です。
触れれば痛い葉、荒々しいままの舎利
杜松をより知られた近縁種と見分ける、もっとも分かりやすい手がかりは葉です。shimpaku(真柏、"sacred juniper, 神聖なビャクシン")が、手で撫でても文句を言わない柔らかな鱗状の葉を持つのに対し、杜松の葉は本物の針葉です。長さはおおむね1〜2センチほど、錐(きり)のような形で断面は三角形に近く、三本一組で、それぞれが別の方向を向いて伸びます。内側の面には一筋の淡い気孔帯が走り、先端は鋭く尖っていて、木全体に「痛さ」という個性を与えています。後の時代の栽培文化が、真柏の柔らかな葉を正式な床の間にふさわしいものとして重んじ、杜松の鋭さにはあまり手を加えずに残してきたのも、偶然ではありません。この二つの木は、手を伸ばして触れた瞬間から、扱い方が違うことを教えてくれるのです。
枯れ姿にも同じ論理が通じます。両方の樹種を手がける育て手たちは、杜松のjin(神)とshari(舎利)――老いた針葉樹に見られる、白く漂白された枯れ木の部分――を、真柏のそれよりも荒く、ごつごつしていると表現します。仕立て上げられた展示木のなめらかで曲線的な白さというより、実際に風雪によって命を落とした木そのものの、生々しく引き裂かれたような表情に近いのです。舎利や神を幹のどこでどう読み取るかについては、別の記事でも詳しく取り上げました。杜松の場合、その読み取りは、これほど広く仕立てに使われる樹種の中でも、とりわけ荒々しく現れる傾向があります。
真柏と並んで語られる木
舎利と神においてもっとも重んじられる松柏を挙げるとすれば、多くの育て手が真っ先に口にするのは、杜松と真柏の二つです。幹全体が古びた枯れ木でありながら、細い一筋の生きた緑を保っている――そんな姿を求めるとき、育て手が最初に手に取る二樹種と言えます。両者の近さは評判だけの話ではありません。どちらもヒノキ科ビャクシン属に属し、どちらも挿し木でよく増え、そしてどちらも、幹に何十年もかけて手を入れ続ける忍耐を求める点でも共通しています。
けれど、この二つの間には格の違いもあります。真柏は、この二樹種のうち仕上がった名手として扱われることが多く、もっとも洗練された展示木と結びつけて語られ、その葉はより柔らかく、舎利は何世代もの技術によって磨き込まれてきました。一方の杜松は、その野性味あふれるいとこと呼ぶべき存在です。枯れ木の表現において真柏と並んで名前が挙がりながらも、真柏そのものと間違われることはめったにありません。真柏ほどの洗練された仕上がりを求めず、それでも舎利と神の魅力を求める育て手にとって、杜松はしばしば選ばれる木なのです。
完全には飼いならされない木
杜松の野性は、見た目だけの話ではありません。この樹種は栽培そのものが本当に難しく、その理由の多くは、自生地の厳しく水はけのよい土地に由来します。根はわずかに湿った状態と、豊富な酸素を必要とします。もっと育てやすい樹種なら耐えられるような水のとどまり方をさせれば、すぐに根腐れが始まります。葉のない裸の枝からは芽吹きにくいため、一本の枝から葉を落としてしまうと、その枝を事実上失うことになります。他の針葉樹のように、葉のなくなった古い枝に無理やり芽を戻すことはできません。植え替えもまた大きな危険をともないます。杜松を日常的に手がける育て手たちは、時期を誤った根の整理によって木を枯らしてしまった経験を語ります。回復にかかる時間も、よく比較される真柏より長くかかる傾向があります。針金かけにも一段と注意が必要です。真柏の幹なら問題なく受け止める同じ捻りの技法でも、杜松の材は折れやすいのです。
けれど、こうした難しさは、この木への愛着を減らすどころではありません。むしろその逆です。急かされることも、雑に扱われることも拒むこの木は、鉢の中で三十年を過ごしていようと、いまも自分が生まれた山の尾根の掟に従って生きているのだと言えるでしょう。
結び
杜松は、他の盆栽樹種のように栽培によって性格が丸くなる木ではありません。何十年もの丁寧な手入れは、姿を整え、舎利に深みを与え、幹を太らせていきます。それでも葉は鋭いままで、枯れ木は荒々しいままで、木はほんの少しだけ、生まれた尾根の記憶を手放さずにいます。この木をよく育てるということは、その鋭さを削り取ろうとするのではなく、鋭さとともに手を動かすということです。
日本では、こうした厳密で季節ごとの目配りを、作家が杜松に対して当たり前のように注いでいます。雨の多い夏に根の湿り具合を見極め、いつ針金をかけられていつはかけられないかを判断し、失っても仕方のない枝はどれかを見定める。Azukariを通じて、持ち主はどこにいても、その途切れない記録の一区間に加わることができます。見た目は野性的でも、この木は他のどんな木とも変わらず、丁寧に見守られ続けているのです。
参考リンク
- Bonsai Empire「Needle Juniper (Juniperus rigida) Care Guide」 — 鋭く刺すような針葉、根の過湿によるリスク、裸の枝からは安定して芽吹かない性質、針金かけについての記述。
- Wikipedia「Juniperus rigida」 — 三本一組の針葉と白い気孔帯、日本・朝鮮半島・中国北部・ロシア極東南東部にまたがる標高10〜2,200メートルの自生域、寺院庭園での観賞用としての利用についての植物学的記述。
- 植木ペディア(庭木図鑑)「ネズミサシ」 — ネズミよけに使われたことに由来する「ネズミサシ」という名前の由来、山地の尾根や瀬戸内海沿岸という分布、乾燥した痩せ地を好む性質についての記述。
- 盆栽エンパイア「杜松」 — 杜松のジン・シャリが野性味あふれる魅力として語られていること、真柏と比べて捻りに弱い(折れやすい)という記述。
- 盆栽日本「杜松 Needle Juniper」 — 日本国内における日当たりのよい山地・丘陵地の花崗岩地という自生環境、栽培下でジンやシャリを作りやすい性質についての記述。
- 盆栽Q「杜松(トショウ)盆栽の育て方まとめ」 — 杜松のシャリが真柏より荒々しい印象であること、両樹種が同じ属に属し挿し木で増やせること、植え替えの際に木を枯らすリスクについての記述。