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AZUKARI

幹肌が示す年月

黒い背景の中で、深く亀甲状に割れた古い樹皮を見せる黒松の盆栽

黒松の古い樹皮が割れる形に、日本の生産者は特定の呼び名をつけている。「亀甲(きっこう)」。老木の幹には、縦に走る長い筋が入ることも珍しくない。亀甲はそれとは違う割れ方で、板状に固まった表面が、六角形に近い小さな塊へと細かく割れていく。この模様は、若い木に言い聞かせてつくれるものではない。黒松なら十年もあれば針金で見栄えのする樹形に仕立てられる。けれど、その樹形を「本物」だと思わせる樹皮ができるまでには、それよりずっと長い年月がかかり、外から手を加えて急がせる方法はない。

盆栽の幹肌は、その木が生きてきた年月を、誰の目にも見える形で記録している唯一の場所であり、読み方を知る人にはそれがそのまま読み取れる。

葉は、一つの生育期のうちに針金と鋏で密に整えることができる。けれど幹肌は、そうやって整えることができない。誰が見ていようといまいと、幹肌はただ記録を刻み続けている。だからこそ、「古い木」だと言われる盆栽が本当にそうかを見極めたいとき、頼りになるのは幹肌のほうだ。樹形は短期間でもつくれるが、その主張を裏づけるのも覆すのも、幹の表面そのものである。

年月でしか幹に入らない割れ方がある

ほとんどの木本性の樹種で、若い幹の樹皮は薄く滑らかで、かつての小枝の質感とさほど変わらない。そこから先に何が起こるかは、技術よりもほとんど時間の問題だ。年月を重ねるうちに外側の層が厚くなり、乾き、自らの張力によって割れ始める。針葉樹の多くでは、その割れが深まって明確な板状に分かれていく。黒松はその中でも特に劇的な例で、樹齢を重ねると樹皮は色を濃くしながら硬く盛り上がった板状に割れていく。生産者の間では、この割れ方の中でも樹皮が長い縦筋ではなく小さくおおむね六角形の塊に割れるものを「亀甲」と呼び、若い木や仕立ての浅い木に見られる粗く不揃いな樹皮と区別することがある。この違いは、外から近道できるものではない。若い黒松は「仕立てられた」木として読める。古い黒松が「古い」木として読めるのは、幹肌そのものが何十年もかけて、針金や剪定では届かない記録を刻み続けてきたからだ。

樹皮が失われて物語が終わる場所

針葉樹では特に、幹肌の物語が単なる荒れにとどまらず、その先へ進むことがある。枝や幹の一部から樹皮が完全になくなり、長年の日光と風にさらされて骨のように白く漂白された木肌がむき出しになるのだ。生産者はこれを、位置によって二つの言葉で呼び分ける。枝や幹の先端が白く漂白されたものが「神(じん)」、幹そのものに沿って走る、樹皮を剥がれた筋が「舎利(しゃり)」だ。どちらも、自然界で尾根筋などの厳しい環境に育つ古い松や真柏に起こることを写し取っている。落雷や乾燥、何十年もの風が木の一部を枯らしても、残りの部分はそのまま生き続ける。真柏をはじめ、腐りにくい丈夫な木質を持つ樹種であれば、作家が神や舎利を直接彫り、石灰硫黄合剤を塗って白さを保ち、腐朽を遅らせることもできる。ただし、彫って作った枯れ木も、その後何年も屋外で風雨にさらされて初めて、木が自然に作ったものに近い説得力を持つようになる。神と舎利が実際の真柏でどう見えるかについては、以前の記事でより詳しく取り上げた。ここでは、神と舎利が幹肌の老化の物語が行き着く先であり、荒れた質感がついに「不在」そのものへと変わる地点だとだけ述べておく。

生きた幹の中を白骨化した舎利が大きく渦を描いて立ち上る、杜松の盆栽

傷は隠さず残される

幹肌は、木が受けた小さな傷も刻んでいく。その読み方も、幹全体の荒れ方と変わらない。何年も前に切り落とした枝の跡は、幹が太くなるにつれてゆっくりと覆われていくが、多くの場合、樹皮が傷口の周りで治癒する際にできた皴や、木目の変化が残る。生産者は、こうした痕跡を通常、消し去ろうとはしない。舎利の一部や、年月を経て板状になった古い樹皮と同じように、目に見える古傷もまた、新しい枝葉の陰に隠すのではなく、木の表情の一部として残されることがほとんどだ。ここには、日本の工芸に通じるもう一つの考え方がある。使い込まれた陶器や道具は、年月がその表面に痕跡を残したとき、「時代(じだい)」が付いたと言われる。年月を経たものだけが持つ、渋い趣や風格を指す言葉で、古い茶道具に使われるこの言葉は、古い幹にもそのまま当てはまる。金継ぎについては別の記事で取り上げた。ひびを金で隠さずに残す陶器の修復技法だが、盆栽の幹肌もこれに通じる理屈で成り立っている。木が経てきた年月を隠すのではなく、刻んで見せているのだ。

老木の幹肌ほど多くを語る

若い木の樹皮には、まだ語ることがほとんどない。滑らかな表面には、記録を積み重ねる時間がまだ与えられていないからだ。古い木はその逆で、板状に割れた樹皮、走る舎利、二代前の所有者の時代に切られた枝の治りきった跡が、同じ一本の幹の上に並び、読み方を知る人にはその一つひとつが読み取れる。根も土の下で同じような記録を刻んでいるが、幹肌はそれを地上で、しかも誰もが最初に目にする場所で刻んでいる。「古い木」だという説明を鵜呑みにせず自分で確かめたいなら、見るべき場所はここだ。針金と剪定は、樹形なら一年でも仕立てられる。だが、その下の表面に年月を書き込めるのは、時間だけだ。

記録を書き続けるのは一人の作家の手

ここまで述べてきたことは、どれも一度の劇的な作業では生まれないし、複数の手が入れ替わり立ち替わり関わっても生まれない。板状の樹皮も、舎利も、治りきった傷も、一人の作家が季節ごとに向き合い、その年ごとにどの傷を残しどの枝を切るかを選び続けて初めて幹に積み重なっていく。Azukariは、まさにこの継続の上に成り立っている。木は日本で一人の作家のもとに残り、この記録を年ごとに重ねていく。持ち主は、幹の上でまだ書き続けられている物語の一区間を担うことになる。季節ごとに届く記録は、完成した写真ではなく、いまも形づくられている途中の幹肌そのものだ。確かめたい人には、それが年月の本当に流れた証になる。

参考リンク

  1. Bonsai Empire — Deadwood on Bonsai (Jin, Shari and Uro) — 神と舎利の定義、向いている樹種、彫り込みと石灰硫黄合剤による仕上げの工程についての解説。
  2. Stone Lantern — Bark and Bonsai — 樹皮が盆栽の本当の樹齢を示す視覚的な手がかりであること、また人工的に古く見せることの限界について。
  3. Kisetsu-en Shohin Bonsai Europe — Bonsai Trees and the Importance of Bark — 樹皮が木にとって果たす役割(損傷からの保護と、内側の師部による養分の輸送)、成熟した樹皮が古さとして見える理由、また栽培中に樹皮をどう保護するかについて。
  4. 盆栽.com「黒松は幹肌がポイント」 — 黒松の樹皮に見られる「亀甲性」「岩石性」「荒皮性」という分類についての解説。
  5. コトバンク「時代が付く」 — 古びたものが帯びる「時代」という趣についての辞書的な定義。
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