
江戸川区の盆栽園、春花園には壁の内側に千本を超える木が並ぶ。私は昨年の正月明けから、この園で小林國雄氏に師事する生徒として通っている。木々の間を歩くだけで気づくことがある。樹種だけでは、目の前の一本が実際に良い木かどうかはほとんど分からない、ということだ。それでも盆栽を嗜む人に樹種の序列を尋ねれば、答えはたいてい早い。松柏が上、雑木や花もの・実ものはその下、と。これは正式なルールとして教わるものではない。展示会でどの木が一番良い場所に置かれるか、教室で最初に手渡される木がどれか、といった暗黙の習慣の積み重ねとして伝わってきたものだ。ところがこれを固定した序列として扱うと、下位とされる樹種の手入れの行き届いた古木を、上位とされる樹種の若く未完成な木の隣に置いた瞬間に、その序列は崩れてしまう。
樹種には一般的な評判があり、盆栽ではまず松柏の名が挙がる。けれど一本の木の実際の格を決めるのは樹齢と仕立ての年月であり、手をかけられた古い木であれば、評判の低い樹種であっても、盆栽で最も格式高いとされる樹種の若い木より格上に立つことがある。
まず松柏、という習慣には理由がある
盆栽の樹種は、大きく分けると「松柏(しょうはく)」と「雑木(ぞうき)」の二つに分かれる。shohaku(松柏、pine-and-cypress、"松と柏(この場合は針葉樹全般を指す)"の意)は松・真柏・杜松などの針葉樹の系統、zoki(雑木、mixed wood、"雑多な木"の意)は楓や欅など、花ものや実ものも含めた広葉樹の系統だ。この分野を代表する施設のひとつ、大宮盆栽美術館は、英語版の解説で針葉樹を「盆栽の原型(the prototypical bonsai)」と位置づけ、松柏をとりわけ大切にされてきた木として紹介している。樹種の全体像については別記事で扱ったが、理由そのものは筋が通っている。松柏は常緑で、一年を通して姿が変わらず、葉や枝ぶりが細かく整えやすい。良い個体であれば、同じ姿を百年以上保ったまま仕立て続けられ、落葉樹のように毎年大きく姿を変えることもない。初心者がまず黒松や真柏を手渡される理由も、黒松と五葉松が盆栽の双璧としてよく語られる理由も、ここにある。
けれどこれは、一本一本の木を測る物差しではない。初心者の目がまず向けられる場所についての習慣であって、育成場に立つ個々の木への評価そのものではない。
格を上げるのは幹肌であって生年月日ではない
木の格を語るときに使われる言葉が「格(かく)」だ。専門的な文脈ではさらに「樹格(じゅかく)」という言い方をすることもあり、ある盆栽専門誌は2019年1月号の特集記事で、枝作りによって格を上げる技術を「樹格向上」という言葉で紹介している。格を上げるものは、意外と具体的だ。無理のない自然な曲がりを持つ幹、そして割れたり縦に筋が入ったりして「古木感(こぼくかん、"古木らしい風情")」と呼ばれる質感を帯びてきた幹肌。あるガーデニング系の解説記事は、この点をはっきりと述べている。盆栽で重視されるのは実際の樹齢そのものではなく、目に見える「古さの気配」だ、と。早く太らせようと急いで育てた樹齢40年の木は、時間をかけてゆっくり育てられ、幹肌と裾張りが自然に育った樹齢80年の木より、格において薄く見えることさえある。
日本で最も権威ある展示会の最高賞も、同じ基準で審査される。日本盆栽協会は国風賞について、「席構成の総合美や風格、用いている鉢や卓、添えものとの調和、培養の状態などを総合的に審査」すると説明している。木全体とその見せ方を総合的に判断するものであり、樹種で先に振り分けるような形にはなっていない。樹種が作るのは期待値までだ。投票権までは持たない。

若い五葉松は、その樹種が持つ「優美」という評判をまとう。けれど評判は記録ではない。実際に問われるのは記録のほうだ。
古い黒松が若い五葉松を追い越す
松柏の中にもさらに細かい通説がある。goyomatsu(五葉松, Japanese white pine)は松柏の中でもとりわけ優美とされ、kuromatsu(黒松, Japanese black pine)はより力強く男性的とされる、という対比だ。小林國雄氏も、自身の著述の中でこの二つをそう描いている。黒松の荒々しい幹肌と剛直な葉を男性的な力強さに、五葉松の繊細な葉を優美さになぞらえて、両者を対をなす存在として語っているのだ。これは実用的な見分け方として確かに意味がある。けれど、それ自体が優劣の序列というわけではない。
六十年という歳月を急がずにかけ、亀甲状に割れた幹肌を育ててきた黒松と、仕立てを始めてまだ五年の五葉松を並べれば、両樹種の一般的な評判がどうであれ、格として深く見えるのは前者のほうだ。目の前の木が積んできた年月と手入れの記録は、その木が背負う樹種の評判より重い。ここが、「松柏が上」という習慣と、実際に木を見るという行為が、静かに分かれる場所である。若い五葉松は、樹種の高い評判を自動的に受け継ぐわけではない。同じように、古い黒松も、「優美さでは劣る」とされる樹種に属しているからといって、格を低く見られるわけではない。
序列ではなく、目の前の記録を見る
だからといって、樹種に意味がないわけではない。近づいてよく見る前に、目の前にどんな性質の木がありそうかを素早く見当づける、実用的な最初のフィルターとしては十分に役立つ。けれど、フィルターは判定ではない。次に二本の木を見比べるとき、問うべきは「どちらの樹種が序列で上か」ではなく、こちらだ——どちらの幹に、より無理のない年月が刻まれているか。急がされてではなく、歳を重ねて割れた幹肌はどちらか。
これは、日本の盆栽文化が木の価値をより広く扱う姿勢とも重なる。カテゴリーから決めつけるのではなく、一本一本の記録から読み取るという姿勢だ。春花園で過ごすひと季節が、針金や鋏の技術よりも先に教えてくれるのは、おそらくこのことだと私は思う——木がどうあるべきかを問うのをやめて、その木が実際にどうなってきたかを見ること。Azukariも、この「見る」という習慣を軸に組み立てられている。日本で作家のもとに育てられている木は、樹種の評判から先に紹介されるわけではない。幹肌や枝ぶり、幹が刻んできた年月そのものが、季節ごとに記録として残される。持ち主が、思い込みではなく、目の前にある木を実際に見られるようにするためだ。
参考リンク
- 大宮盆栽美術館「About: Bonsai Trees」 — 松柏が「盆栽の原型」とされ、松・真柏をはじめとする針葉樹がとりわけ大切にされてきたこと、雑木が季節の変化ゆえに愛されてきたことについて。
- 日本盆栽協会「国風盆栽展・イベント」 — 国風賞の審査基準(席構成の総合美や風格、鉢や卓との調和、培養の状態)について。
- Botanica「盆栽とは?」 — 格が樹齢そのものではなく、幹の自然な曲がりや割れた幹肌といった「古木感」から読み取られることについて。
- 小林國雄「盆栽の種類|春花園webサイト」 — 黒松と五葉松を松柏の双璧とし、黒松の男性的な力強さと五葉松の優美さを対比している記述について。
- 近代出版「月刊 近代盆栽 2019年1月号」 — 特集記事の目次に「樹格向上」という語が使われており、専門誌における用語として確認できる。