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鉢が木を選ぶ

形も色も質感もさまざまな盆栽鉢の集合

盆栽鉢は形も仕上げもさまざまです。六角、楕円、丸、長方形などがあり、素焼きのものも、青や緑の釉薬をかけたものもあります。/ Photo by Ragesoss, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons — Source

愛知県常滑は、焼き物の歴史がおよそ千年に及ぶ産地でありながら、盆栽専用の鉢を今も焼く窯元は、20世紀半ばの最盛期に数十軒あったものが、現在ではおよそ十数軒にまで減っている。窯の数は減っても、木のために鉢をどう選ぶかという判断の厳しさは、少しも緩んでいない。

盆栽の鉢は、土を入れるための器ではない。作家が木の周りに組み立てる舞台であり、その舞台を変えるだけで、木そのものの見え方が変わる。

よく仕立てられた盆栽を、枝一本切らず葉一枚触らずに、ある鉢から別の鉢へ移すと、木の佇まいは重くも軽くも、老いても若くも、静かにも険しくも見えるようになる。「盆栽」という言葉自体に、すでにこのことが組み込まれている。「盆」は鉢や盆を、「栽」は植えることを意味する。露地に育つ木は、まだ本当の意味での盆栽ではない。その木だけのために選ばれた鉢に据えられて、初めて盆栽になる。

鉢は木のあとに選ばれ、先には選ばれない

育苗用の鉢は、植物を生かしておくためのものだ。盆栽の鉢は、木を見せるためのものだ。深さ、幅、釉薬、縁の厚みは、木のあとから、その幹の流れやその季節の葉姿に応じて選ばれるのであって、先に鉢を決めて木を植えるのではない。日本の作家たちは、この調和を「鉢映り」と呼ぶ。鉢が木を映す、という言い方であり、鉢と木が一体の作品になっている状態を、木がただ器に収まっているだけの状態と区別する言葉だ。広く知られる目安として、鉢の長さは木の高さのおよそ三分の二、深さは土の際にある幹の太さに近いものとされるが、これはあくまで出発点で、そこから外れることも珍しくない。この目安は、専門知識のない読み手にとっても使える物差しに近い。鉢が木自身の色や線の内側に退いているか、それともまだ張り合っているか、を見ればいい。

形・色・質感は、好みより先に約束事

作家は好みだけで鉢を選ぶわけではなく、共有された緩やかな約束事から出発する。まっすぐ端正に伸びる直幹には、幹の潔さと張り合わない、簡素な長方鉢や楕円鉢がよく合わせられる。ゆるやかに曲がる模様木には、木の動きに呼応する楕円や丸鉢のほうが向くことが多く、鉢のふちより下に垂れる懸崖には、構図全体が今にも傾いて見えないよう、より深く背の高い鉢が必要になる。

色は木自身の色合いに従う。松柏類は、素焼きのまま焼き上げた土色の「泥もの」の鉢に据えられるのが伝統で、控えめで後退する色が、濃い樹皮や葉と競わずに背景にまわるためだ。雑木や花もの・実ものは、白・青・緑などに釉薬をかけた「色鉢」に据えられることが多く、春の新緑、秋の紅葉、冬の裸木という、一年のうちに見せる姿の違いを受け止める色が選ばれる。古く枯れた味わいの木には渋く落ち着いた釉薬が、若い木には明るい色の鉢が合わせられるのが通例だ。質感は樹皮に従うとされ、深く割れて板状になった樹皮には粗い質感の土肌が、楓やぶなのような若く滑らかな樹皮には、同じく滑らかな鉢肌が合わせられることが多いとされる。どれも固定の公式ではなく、実際には例外だらけだが、作家がまず手を伸ばす基本の語彙であることに変わりはない。

鉢合わせは、季節をまたいで試される独立した技量

この営み全体を指す言葉が「鉢合わせ」だ。特定の鉢を特定の木に意図して組み合わせることを指し、一度で決まることはめったにない、剪定や針金かけとは別の、それ自体独立した技量として扱われている。作家は一つの木に対して複数の鉢を試し、ある鉢を据えてしばらく様子を見て、また別の鉢に替える、というやり取りを季節をまたいで重ねると言われる。木がただ器に収まっているだけの状態を抜け出し、良い鉢映りに達するまでの試行錯誤だ。しかもこの組み合わせは一度決めて終わりではない。若い木の幹が太り根張りが広がるにつれて、あるいは木が仕立ての段階からより完成した見せ方へ移るにつれて、何年か前に選んだ鉢が合わなくなり、鉢合わせがやり直されることもある。

この判断を支える鉢には、まったく異なる二つの系譜がある。盆栽用の陶器づくりは、一般に宋代の中国、およそ11世紀にさかのぼるとされ、その技術がずっと後になって日本に伝わったとされる。今日でも中国渡来の古い鉢は、日本の盆栽界で大切にされている。冒頭で触れた常滑——日本六古窯の一つに数えられる愛知の産地——は、およそ千年におよぶ焼き物の歴史を持ちながら、盆栽専用の鉢を作り始めたのは明治の中頃、いまからおよそ百数十年前のこととされ、大阪から広がった当時の盆栽ブームがそのきっかけだったと伝わる。窯元の数が最盛期の数十から十数軒に減った今も、常滑は日本を代表する産地であり続けている。常滑焼とは別に立つのが「古渡り」、宋代から清代末期にかけて渡来した中国製の鉢だ。木の有無にかかわらず、鉢そのものとして所有し愛でるに値するものとして盆栽界で重んじられており、それに並び立つだけの風格を持つ幹に合わせるのが慣例とされている。

鉢が、完成度の半分を担うこともある

「盆栽」の「盆」がすでに鉢そのものを意味することから、日本の作家たちは半ば冗談まじりに、一つの作品としての完成度の半分は鉢が担っている、と言ってきた。どれほど質の高い木であっても、色が喧嘩する鉢、幹を窮屈に見せる鉢に据えられれば、ありふれて見えてしまう。同じ木を、丁寧に選ばれた鉢に移すだけで、最初からその鉢のためにあったかのように見えることがある。鉢が木に何かを付け加えるのではなく、その木にもともとあったものを引き出しているにすぎない。鉢に一度木を据えたあとは道具で手を加えることがないにもかかわらず、鉢合わせが剪定や針金かけと同じ重さで扱われるのはこのためだ。その判断ひとつが、以後その木を見るすべての人の見え方を左右する。この判断が属するより広い美意識については、別の記事でも触れている。

鉢の判断は、木の変化とともに選び直される

一度選ばれた鉢が、その木にとって最後の鉢であることはめったにない。植え替えは鉢とは関係なく数年おきにめぐってくるし、その木の色、幹の先細り、次の時期にまとうべき雰囲気についての作家の見立ても、木自身の変化とともに移り変わる。鉢を選ぶことは、木とそれを世話する人たちとのあいだの、もっと長い関わりのなかにある一つの判断にすぎない。一度決めて、また折にふれて選び直される判断だ。だからこそ、常滑に今も残る十数軒の窯元は、その数の少なさ以上の重みを持つ。彼らが焼く一つの鉢は、最初に組み合わされる木の何代か先まで残り、その先でまた別の木と組み合わされることになる。

Azukariは、その同じ関わりのただなかにある。日本の作家は、木が持ち主のもとに渡ったあとも、この植え替え、この鉢、この季節というふうに、同じ大きさの判断を重ね続ける。そしてそのひとつひとつが、持ち主に届く記録の一部になる。木の鉢も、その他の手入れと同じように、一度決めてそのままにされることはない。鉢が決まったあと、木がほかの物とどう並べられるかについては、「盆栽と水石」「何もない床の間」もあわせてお読みいただきたい。

参考リンク

  1. Bonsai Empire — Choosing a Bonsai Pot for Your Tree — 樹形や樹種に合わせた鉢の形・深さ・色の選び方についての解説。
  2. Bonsai Empire — Tokoname Pots — 常滑の盆栽鉢窯元が最盛期の数十軒からおよそ十数軒にまで減った経緯についての記事。
  3. Bonsai Empire — Bonsai Pottery (Origins) — 盆栽用陶器が宋代中国に起源を持ち、後に日本へ伝わったとする記述。
  4. YUKIMONO「The History of Tokoname Bonsai Pots」 — 常滑のおよそ千年におよぶ焼き物の歴史と、明治中頃における盆栽専用鉢の登場について。
  5. The Japan Foundation, Wochi Kochi「盆栽の見栄えを左右する樹と鉢の組み合わせ」 — 「鉢映り」、中国渡来の「古渡り」鉢、鉢が作品の完成度に占める比重についての記述。
  6. 趣味時間「初心者が樹と鉢を調和させる『鉢合わせ』のポイント」 — 「鉢合わせ」の定義と、樹形ごとの鉢の形の目安についての解説。
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