
1485年、京都・銀閣寺の一室「東求堂」が完成した。書院造の現存最古の例とされる部屋である。書院造(しょいんづくり、書見のための机や違い棚、そして品を飾るための浅い凹みを中心に構成された住宅様式)の中心にあるのが床の間で、この空間はそれから五百年以上、同じ規則を守り続けている。ひとつの品を、一人の客のため、一つの季節のために選び、あえて何も飾らない壁を背にして置く、という規則である。
床の間は物をしまう棚ではない。一度にひとつの品しか置かない舞台であり、その周りの何もない壁こそが、その品にその日一日、家の迎え方を語らせるだけの重みを与えている。
床の間は舞台であり、物置ではない
初めて見る人は、これを見誤りやすい。座敷の奥の壁に切られた一段高い床、その上にかけられた一幅の掛け軸、時には低い花器に生けられた一枝の花。それだけである。一見すると、埋め忘れた棚のようにも見える。ほとんど空のままにしておく理由は、この様式の来歴をたどるとわかる。ひとつの説では、床の間の起源は「押板(おしいた、禅寺で燭台や香炉、花瓶などの仏具を、背後の壁にかけた仏画の下に置くための板)」に求められる。もうひとつの説では、平安貴族の住まいであった「寝殿造(しんでんづくり、開放的で殿舎を連ねる住宅建築の様式)」の室内配置にその起源を求める。この二つの流れは、室町時代——おおよそ十四世紀から十六世紀——に武家の間で発展した書院造において合流した。書院造の座敷の中で、この凹みはもはや仏具をしまう場所ではなく、美術品を飾るための定まった舞台になった。その家がもっとも大切にする掛け軸を、いまその前に座っている客だけに見せる場所である。江戸時代には、床の間は寺院や武家屋敷の枠を超え、格式ある座敷を構えるあらゆる住宅に広がった。
床の間は一度にひとつの品しか許さない
床の間を学ぶ価値があるのは、その形ではなく、その抑制にある。ある瞬間において、床の間にはただひとつの取り合わせしか置かれない。多くの場合は一幅の「掛け軸(かけじく、書や水墨画を表装した縦長の巻物)」のみ、時にはそれに一つの生け花や一つの石、あるいは一鉢の盆栽が添えられるが、複数の品が同時に注意を奪い合うことはない。二幅目の掛け軸が変化のために並べられることはない。二つ目の花瓶が調和のために足されることもない。一人の客、一つの季節、ひとつの品。それが規則である。
そのひとつの品は、亭主の判断で入れ替わる。早春には梅の花を描いた掛け軸がふさわしく、十月には秋草を描いた掛け軸がふさわしい。婚礼の訪問にはめでたい言葉を記した掛け軸が、喪に服す客には、より静かで内省的な一幅がふさわしい。この取り合わせは客が到着する前に整えられ、亭主と客の双方が同じように読み取る。声に出さずに、これがどのような機会であるか、亭主が今この人をどう迎えているかを伝える通知である。床の間に足を踏み入れた客が読み取っているのは、その日だけのために用意された知らせであり、前の日でも翌日でもない。
何もない壁が、品に重みを与える
もしその品が雑然とした部屋に置かれていたなら、こうしたことは伝わらない。一幅の掛け軸にこれほどの意味を持たせているのは、その周りの何も飾らない壁であり、その下の一段高い床であり、その上の折り上げられた天井である。ひとつのものを他のすべてから切り離すことだけを目的とした、建築の額縁である。この空間には作法も及ぶ。客は、飾りを替えるとき以外は床の間の一段高い床に足を踏み入れない。もっとも上座の客は伝統的に床の間を背にして座り、部屋の方を向く。こうして床の間の取り合わせは他の全員から見える状態を保ちながら、注目が客自身の体をめぐる見世物になることを避けている。そこに置かれえたはずのすべての品が、置かれなかったこと自体もまた、この取り合わせの一部である。
盆栽が床の間に加わったのは、比較的近年のことである
実のところ、この伝統の中で盆栽が居場所を得たのは、かなり近年のことであり、簡単に得られたものでもない。歴史的に、床の間は主として掛け軸と生け花のために——室内で行われ、床の間の格にふさわしいと考えられてきた技芸のために——確保されてきた。庭で屋外に育つ木は、その歴史の長い期間、これほど格式ある空間にふさわしい題材とは見なされていなかった。盆栽という営みが、収集家や亭主の目から見て、一幅の見事な掛け軸と同じだけの注目に値する、独自の技芸へと成熟して初めて、盆栽は床の間の中に居場所を得た。今日では、姿の整った一本の木が、単独で、あるいは「水石(すいせき、自然の形の中に風景を見出して鑑賞される観賞用の石)」や掛け軸と組み合わされて、床の間の飾りとして認められ、尊ばれている。これを日本では「床飾り(とこかざり、格式ある床の間の飾り付け)」、盆栽の展示会という場では「席飾り」と呼ぶ。この飾りの作法そのものを扱った専門の道については「景道とは何か」で、石については「盆栽と水石」で詳しく書いている。
床の間に入っても、盆栽はほかの品と同じ扱いから逃れられない。単独で現れ、その日の客とその日の季節のために選ばれ、その瞬間が過ぎればまた運び出される。生きた盆栽は、光と風がなければ数日と経たないうちに弱ってしまい、屋内での展示に長く耐えられない。だからその機会のために運び込まれ、終われば再び屋外の棚へと戻される。ちょうど掛け軸が訪問のために広げられ、客が去れば再び巻き取られるのと同じ扱いである。
見るべきは品ではなく、その組み合わせである
床の間の前に立ったら、身につけたい見方がある。空白そのものに感心して終わるのは、装飾として眺めているにすぎない。見るべきは、そのひとつの品が何と組み合わされているかである。季節に対して選ばれた掛け軸なら暦との組み合わせを、その客のためだけに選ばれた掛け軸なら客との組み合わせを、一つの石だけを添えた盆栽なら展示のテーマとの組み合わせを見る。品それ自体は、亭主が何を持っているかを教えるにすぎない。組み合わせは、亭主がその日、その客について何を考えていたかを教えてくれる。床飾りが答えようとしている問いはそこにあり、たいていの客が思いつきさえしない問いでもある。
床の間における木の最良の時間とは、部屋を占有し続けることではない。ほんのわずかな間、ある部屋の中心に置かれることである。
参考リンク
- Tokonoma — Wikipedia — 床の間の起源をめぐる二つの説(禅寺の「押板」説と「寝殿造」の室内配置説)、掛け軸・花・盆栽の飾り方の慣習、この空間を律する作法の概要。
- Shoin-zukuri — Wikipedia — 室町時代に発展した書院造の住宅様式、その基本要素(床の間・違い棚・造り付けの机)、現存最古の例とされる1485年建立の銀閣寺・東求堂について。
- Shoin-zukuri — Encyclopaedia Britannica — 書院造の簡潔な建築史と、禅宗・茶の湯との結びつきについて。
- MATCHA — "Tokonoma, An Essential Element Of Japanese Architecture" — 床の間の起源が武家にあったこと、そして実用性を持たない展示空間としての性格について。