
一枚一枚、緑から橙、赤へと色を変えていく紅葉の盆栽。/ Photo by Neal Ziring, public domain, via Wikimedia Commons — Source
「紅葉(もみじ)」という言葉は、日本の一年でもっとも多くの人が見に出かける現象の名前でもあります。毎年秋、ほんの数週間、山の斜面全体が赤や橙に染まり、人々はその下に立つためだけに旅をします。盆栽を育てる人は、その同じ出来事を、鉢の上でごく小さく再現し続けています。
紅葉の盆栽は、一年のうちほんの数週間しか見せない色によって評価される木であり、その色の多くは、指先ほどの小さな葉の上で起きています。
鉢の上で燃える一年
紅葉という現象は、化学的に見れば、ある種の「覆いを取る」作業です。春から夏にかけて、楓の葉が緑に見えるのは、光合成に使われる色素クロロフィルが優勢だからです。夜が冷え込み始めると、木はこのクロロフィルを分解し、補充をやめます。すると、葉にもともと含まれていた黄色や橙色の色素、カロテノイドが、その年初めて表に現れます。赤だけは事情が違います。覆いを取って現れるのではなく、新たに作られる色です。寒さが引き金となって、葉はアントシアニンという色素を新たに合成し始めます。この現象について東京大学の研究者は、二つの仮説を挙げています。ひとつは、光合成をほぼ終えつつある葉を強い光から守るパラソルのような役割だという説。もうひとつは、冬を越すための卵を産みつけようとするアブラムシなどの虫に対して、「この葉は場所として適さない」と伝える信号だという説です。どちらもまだ決着はついていません。確かなのは、9月には緑だった木が、11月には黄色から橙、赤へと連なるグラデーションに変わるという結果だけです。高さ30〜40センチほどの盆栽の上では、そのグラデーションが一枚一枚見て取れるほど近くで展開します。1キロ先の山の稜線を眺めるのとは違う近さで。
小さな葉ほど、目が向けられる
葉の大きさは、紅葉の盆栽を評価するうえで無視できない要素です。盆栽の世界では、木がもともと持つ葉の大きさ・密度・色を「葉性(はしょう)」と呼びます。これは別の記事でも取り上げた性質ですが、楓の仲間では、小さく密に付く葉が一貫して好まれます。理由は二つあります。盆栽という縮小された世界の中で、より本物の大木らしく見えること。そして、そう簡単には得られない性質だということです。小ささの一部は、木そのものの個性です。たとえば「山紅葉(やまもみじ)」は、節と節の間が自然に短く、葉も小さいことで知られ、密でまとまりやすい木として重宝されます。残りは技術によるものです。作家は、初夏、春の芽が固まったあとに一度葉を切り落とす「葉刈り」という技術で、葉をさらに小さくします。こうすると木は二番目の芽吹きを起こし、そこで出てくる葉は元より小さく、下の枝にもより多くの光が届くようになって、枝分かれも同時に細かくなります。この技術自体は勢いの強い雑木の多くに使われますが、細やかな枝ぶりと秋の色づきの両方が「葉がどれだけ小さく密に付くか」にかかっている楓では、その効果がとりわけ直接的に表れます。
秋より先に赤い
紅葉が色を見せるのは秋だけではありません。盆栽用に特に育てられている品種、たとえば「出猩々(でしょうじょう)」や「青幻(せいげん)」などは、春に伸びる新芽が最初から鮮やかな紅色をしています。これは秋の色づきと同じアントシアニンという色素によるもので、その後、夏の間は緑に落ち着き、気温が下がるにつれて再び黄色や橙、赤へと変わっていきます。つまり一本の木が、一年のうちに二度、性質の異なる赤を見せることになります。春の、短く強い新芽の赤と、秋の、樹冠全体をゆっくりと覆っていく赤です。この二つの赤の間には、枝そのものの季節があります。葉を落とした冬の枝ぶりと、細やかな枝分かれは、それ自体が別に取り上げる価値のある主題です。
もっとも表情豊かな一年
これらを合わせて見ると、紅葉は他のどの樹種よりも、月ごとに違う顔で見られることを求めてくる木だと分かります。黒松や真柏といった常緑の松柏は、一年の大半、変わらぬ緑を保ち、見どころは変化そのものよりも幹や枝に集中します。雑木の盆栽が愛されるのは、まさにじっとしていないからですが、紅葉はその中でも極端な部類に入ります。春の赤い新芽、夏の緑の葉だまり、黄色から橙を経て赤へと至る秋の色づき、そして葉を落とした冬の枝。どの一週間を切り取っても、木の全体は語られません。これは「紅葉狩り(もみじがり)」という日本の習慣にも通じる感覚です。紅葉狩りの起源は平安時代の貴族が秋に催した野遊びまでさかのぼり、さらにその前、奈良時代の和歌にはすでに色づいた葉を詠んだ歌が数多く残っています。「もみじ」という言葉自体、紅花の花びらから染料を「揉み出す」技術に由来する「もみいづ」という語から来ているとされます。紅葉狩りは、何世紀ものあいだ、ただ眺めるだけの行為ではなく、色を探しに出かける、能動的な行為でした。貴族たちは色のある場所まで馬を進め、しばらくそれを見つめ、そして季節が移ろうままにその場を後にしたのです。
結び
盆栽を育てる人は、色を求めて馬を進めるわけにはいきません。木は家の、棚の上にあります。けれど紅葉は、その「探しに行く」という感覚の、もうひとつの形を室内に持ち込みます。この木を本当に理解するには、一年を通して見続けるしかありません。木を紅葉たらしめているものの多くは、一度の訪問では見えてこない予定表の上で起きているからです。
Azukariは、その同じリズムを軸に組み立てられています。日本にいる作家は、春の芽吹き、夏の緑、色づき、葉を落とした冬の枝ぶりと、そのすべての変化を通じて木の世話を続け、そこで起きたことを季節ごとの記録として持ち主に届けます。11月に木の前に立たなくても、それが赤くなったことは分かります。4月に立ち会わなくても、緑になる前にどれだけ赤かったかが分かります。かつて紅葉狩りが貴族の歌人をその色のもとへ運んだように、この記録が、その季節をあなたのもとへ運びます。
参考リンク
- 東京大学「なぜカエデの葉は秋に赤くなるのか?」 — クロロフィルの分解とアントシアニンの合成という紅葉の仕組み、寒さが引き金になること、アントシアニンの機能についての二つの仮説。
- Wikipedia「Acer palmatum」 — 日本での呼び名「紅葉(もみじ)」「イロハモミジ」、原産地、葉の裂片の数、日本の芸術や盆栽における位置づけ。
- Seattle Japanese Garden「Momiji-gari」 — 紅葉狩りの奈良・平安時代からの歴史、黄葉から紅葉への鑑賞対象の移り変わり、「もみいづ(揉み出づ)」という語源。
- Bonsai Empire「Japanese Maple (Acer palmatum) care guide」 — 品種によって異なる春の葉色、「出猩々」「青幻」といった赤葉品種、楓に用いられる葉刈りの技術について。
- Bonsai Empire「Defoliation」 — 葉刈り(デフォリエーション)が葉を小さくし枝分かれを増やす仕組みと、多くの雑木で用いられる6月頃という時期について。
- Bonsai Prelude「Species Profile: Acer buergerianum (Trident Maple)」 — トウカエデの日本語名「楓(かえで)」について。本文で触れた「紅葉(Acer palmatum)」との呼び分けの根拠として引用。