
一枚一枚、緑から橙、赤へと色を変えていく紅葉の盆栽。/ Photo by Neal Ziring, public domain, via Wikimedia Commons — Source
成木の紅葉の盆栽は、たいてい高さ30〜40センチほどにしかならない。片手で持ち上げられるほど小さく、家の中の棚一つに収まる大きさだ。一年のほとんどは、その小ささにさほど意味はない。ところが夜の気温が下がり始めると、7月には何の変哲もなかったその小さな樹冠が、一枚一枚、色を変え始める。本来なら1キロ先の山の稜線を眺めてようやく見えてくるほどの変化が、手元でそのまま追えるようになる。「紅葉(もみじ)」という言葉は、日本の一年でもっとも多くの人が見に出かける現象の名前でもある。毎年秋、山の斜面全体が赤や橙に染まり、人々はその下に立つためだけに旅をする。盆栽を育てる人は、その同じ出来事を、家の中の棚の上で、一枚の葉を追えるほどの近さで再現している。
紅葉の盆栽は、一年のうちほんの数週間しか見せない色によって評価される木であり、その色の多くは、指先ほどの小さな葉の上で起きている。
赤は隠れていたのではなく、死ぬ間際に新しく作られる
紅葉という現象は、化学的に見れば、多くの部分が「覆いを取る」作業にすぎない。春から夏にかけて、楓の葉が緑に見えるのは、光合成に使われる色素クロロフィルが優勢だからだ。夜が冷え込み始めると、木はこのクロロフィルの分解を進め、補充をやめる。すると、葉にもともと含まれていた黄色や橙色の色素、カロテノイドが、その年初めて表に現れる。ただし赤だけは事情が違う。覆いを取って現れるのではなく、それまで持っていなかった色素、アントシアニンを、寒さをきっかけに葉が新しく合成し始めるのだ。この現象について東京大学の研究者は、二つの仮説を挙げている。ひとつは、光合成をほぼ終えつつある葉を、養分を幹へ戻す間、強い光から守るパラソルのような役割だという説。もうひとつは、冬を越すための卵を産みつけようとするアブラムシなどの虫に対して、「この葉は場所として適さない」と伝える信号だという説だ。どちらもまだ決着はついていない。確かなのは結果だけだ。9月には緑だった木が、11月には黄色から橙、赤へと連なるグラデーションに変わる。盆栽ほどの大きさでは、そのグラデーションが山の斜面ではなく一枚一枚の葉の上で展開する。
葉が小さいほど、手に入れるのが難しい
葉の大きさは、紅葉の盆栽を評価するうえで無視できない要素だ。盆栽の世界では、木がもともと持つ葉の大きさ・密度・色を「葉性(はしょう)」と呼ぶ。これは別の記事でも取り上げた性質だが、楓の仲間では、小さく密に付く葉が一貫して好まれる。理由は二つある。盆栽という縮小された世界の中で、より本物の大木らしく見えること。そして、そう簡単には得られない性質だということだ。小ささの一部は木そのものの個性から来る。たとえば「山紅葉(やまもみじ)」は、節と節の間が自然に短く、葉も小さいことで知られ、密でまとまりやすい木として重宝される。残りは技術によるものだ。作家は、初夏、春の芽が固まったあとに一度葉を切り落とす「葉刈り」という技術で、葉をさらに小さくする。こうすると木は二番目の芽吹きを起こし、そこで出てくる葉は元より小さく、下の枝にもより多くの光が届くようになって、枝分かれも同時に細かくなる。この技術自体は勢いの強い雑木の多くに使われるが、細やかな枝ぶりと秋の色づきの両方が「葉がどれだけ小さく密に付くか」にかかっている楓では、その効果がとりわけ直接的に表れる。
秋より先に、赤くなる
紅葉が色を見せるのは秋だけではない。盆栽用に特に育てられている品種、たとえば「出猩々(でしょうじょう)」や「青幻(せいげん)」などは、春に伸びる新芽が最初から鮮やかな紅色をしている。これは秋の色づきと同じアントシアニンという色素によるもので、その後、夏の間は緑に落ち着き、気温が下がるにつれて再び黄色や橙、赤へと変わっていく。つまり一本の木が、性質の異なる赤を一年に二度見せることになる。春の、短く強い新芽の赤と、秋の、樹冠全体をゆっくりと覆っていく赤だ。この二つの赤の間には、枝そのものの季節がある。葉を落とした冬の枝ぶりと、細やかな枝分かれは、それ自体が別に取り上げる価値のある主題だ。
これほど表情を変える盆栽は、他にない
黒松や真柏といった常緑の松柏は、一年の大半、変わらぬ緑を保ち、見どころは変化そのものよりも幹や枝に集中する。雑木の盆栽が愛されるのは、まさにじっとしていないからだが、紅葉はその中でも極端な部類に入る。春の赤い新芽、夏の緑の葉だまり、黄色から橙を経て赤へと至る秋の色づき、そして葉を落とした冬の枝。どの一週間を切り取っても、木の全体は語られない。これは「紅葉狩り(もみじがり)」という日本の習慣にも通じる感覚だ。紅葉狩りの起源は平安時代の貴族が秋に催した野遊びまでさかのぼり、さらにその前、奈良時代の和歌にはすでに色づいた葉を詠んだ歌が数多く残っている。「もみじ」という言葉自体、紅花の花びらから染料を「揉み出す」技術に由来する「もみいづ」という語から来ているとされる。紅葉狩りは、何世紀ものあいだ、ただ眺めるだけの行為ではなく、色を探しに出かける能動的な行為だった。貴族たちは色のある場所まで馬を進め、しばらくそれを見つめ、そして季節が移ろうままにその場を後にした。
木は、一年を通して見て初めて評価できる
11月にしか色づかない楓は、一年のうちの一週間だけで評価されていることになる。春の赤い新芽、夏の緑の葉だまり、そして葉を落とした冬の枝ぶりまで、どこを切り取っても見るべきものがある楓は、一年を通して評価されていることになる——紅葉した写真一枚だけで映える木と、一年を通して手元に置く価値のある木を分けるのは、この違いだ。
Azukariが組み立てているのは、まさにその一年を通した時間だ。日本にいる作家は、春の芽吹き、夏の緑、色づき、葉を落とした冬の枝ぶりと、そのすべての変化を通じて木の世話を続け、そこで起きたことを季節ごとの記録として持ち主に届ける。かつて紅葉狩りが貴族の歌人を、色づいた一つの山までしか連れて行かなかったように、この記録は、一年そのものを、木のある場所からどれだけ離れていても届ける。
参考リンク
- 東京大学「なぜカエデの葉は秋に赤くなるのか?」 — クロロフィルの分解とアントシアニンの合成という紅葉の仕組み、寒さが引き金になること、アントシアニンの機能についての二つの仮説。
- Wikipedia「Acer palmatum」 — 日本での呼び名「紅葉(もみじ)」「イロハモミジ」、原産地、葉の裂片の数、日本の芸術や盆栽における位置づけ。
- Seattle Japanese Garden「Momiji-gari」 — 紅葉狩りの奈良・平安時代からの歴史、黄葉から紅葉への鑑賞対象の移り変わり、「もみいづ(揉み出づ)」という語源。
- Bonsai Empire「Japanese Maple (Acer palmatum) care guide」 — 品種によって異なる春の葉色、「出猩々」「青幻」といった赤葉品種、楓に用いられる葉刈りの技術について。
- Bonsai Empire「Defoliation」 — 葉刈り(デフォリエーション)が葉を小さくし枝分かれを増やす仕組みと、多くの雑木で用いられる6月頃という時期について。
- Bonsai Prelude「Species Profile: Acer buergerianum (Trident Maple)」 — トウカエデの日本語名「楓(かえで)」について。本文で触れた「紅葉(Acer palmatum)」との呼び分けの根拠として引用。