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持ち込みという時間

長年の培養によって密に重なった葉の層を作り上げた杜松の盆栽。正式な展示鉢に据えられている

海辺の崖から採取された樹齢百年の松と、苗木から鉢に入れて四十年育てられた五葉松が、展示会場で並んで置かれることがあります。ある一つの物差しで見れば、「古い」のは後者の五葉松のほうです。その物差しがmochikomi(持ち込み、"鉢に入れられ、盆栽として培養されてきた年数")です。持ち込みは独自の時計で時を刻み、どちらの幹の中に何本の年輪が隠れているかとは関係がありません。

盆栽の持ち込みは、木そのものの樹齢を記録するものではありません。鉢の中でどれだけ手をかけられてきたかを記録するものであり、職人が木を見るとき実際に読み取っているのは、樹齢よりもむしろこちらの数字です。

この言葉が実際に数えているもの

盆栽の用語辞典は「持ち込み」を明快に定義しています。木が鉢に入れられ、baiyō(培養、"継続的な手入れによる育成")のもとで盆栽として過ごしてきた年月と、その経過のことです。この数え方は、種が芽吹いた瞬間から始まるわけではありませんし、木が自生しているのを見つけた瞬間から始まるわけでもありません。木が鉢に入り、職人の鋏と針金とまなざしのもとで、盆栽としての人生が実際に始まった日から数え始められます。地植えで最初の十五年を育てられ、そのあとで初めて鉢に入れられた苗木は、鉢に入れられたその瞬間、それまでの樹齢がいくつであろうと、持ち込みはゼロです。

職人たちは、持ち込みを、ある種の勤続年数のように語ります。「この木は持ち込みが古い」という言い方は、木がどれだけ長く地上で生き延びてきたかについての主張ではなく、どれだけ手をかけられ続けてきたかについての賛辞です。持ち込みが樹齢と分けて語られるのは、まさにこの二つがしばしば食い違うからであり、また、持ち込みこそが、職人が自分の仕事として胸を張れる木の経歴の部分だからでもあります。

樹齢とは別に時を刻む物差し

この食い違いがもっとも目に見える形で現れるのが、yamadori(山採り、"自生地から採取された木")です。海辺の崖から採取された松は、掘り出されたその日にはすでに樹齢百年を超えていることも珍しくありません。その幹は、盆栽作家の手が入る前から、何十年もの潮風によって形づくられてきたものです。どのように数えても、その木の樹齢は、苗木鉢に収まった最初の日からすでに相当なものです。けれど、持ち込みはそうではありません。庭の生垣から挿し木で起こされた木と同じように、ゼロから数え始められます。持ち込みが測っているのは、木がどれだけ長く生きてきたかではなく、どれだけ長く誰かの手で仕立てられてきたかだからです。

逆のことも同じくらい頻繁に起こります。挿し木や実生で苗床から育てられ、早い段階で鉢に入れられて、四十年、五十年と途切れることなく仕立てられてきた木は、樹齢そのものは若くても、長く評価の高い持ち込みを備えていることがあります。樹齢の推定には、いくつもの不完全な手がかりがあることを、別の記事で取り上げました。幹肌の質感、根張りの広がり、木に添えられた記録などです。持ち込みも一応その一覧に加えられますが、少し据わりが悪い項目です。というのも、持ち込みは、それらと同じ問いに答えようとしているわけではないからです。持ち込みが答えているのは、より狭い問いです。この木がどれだけ長く生きてきたかではなく、どれだけ長く仕立てられてきたかという問いです。

鉢の中の時間こそ、職人の仕事そのもの

その年月は、決して受け身のものではありません。手入れをせずに四十年、鉢の中に放置された幹は、長く評価される持ち込みを備えるのではなく、育ちすぎた雑木になってしまいます。持ち込みを実際に満たしているのは、季節ごとに繰り返される、特定の技術の積み重ねであり、それが積もり積もって、木の輪郭として目に見える形をとります。

成木となった盆栽は、おおむね三年から五年に一度植え替えられ、そのたびに根を整理して新しい土に入れ直されます。浅い鉢の中でも健康を保てるだけの頻度でありながら、幹がゆっくりとしたペースで太り続けられるだけの間隔でもあります。植え替えと植え替えの間には、職人が主要な枝を剪定し、針金で位置を決め、その骨格が固まったあとで、より時間のかかる仕事、つまり生育期を通じて新芽を摘み続ける作業に移ります。この技術は木のエネルギーを内側へと向け直し、何年もかけて、ひと目で「古い」と読み取れるような、細かく重なり合った枝ぶり、いわゆる枝の密度を作り出します。このどれもが、急いでは成し遂げられませんし、偶然に起こることでもありません。この過程を研究する職人たちがはっきりと述べているのは、ただ伸ばしては元の位置まで切り戻すだけの木は、何年経っても足踏みしたままだということです。一方、同じ周期を意図を持って繰り返された木は、少しずつ、長い持ち込みで知られるあの密で落ち着いた輪郭へと近づいていきます。つまり持ち込みとは、木が生き延びてきた時間の長さではなく、木が仕立てられてきた時間の長さであり、その年月は、実際に手が入れられていて初めて数えられるものなのです。

持ち込みが長いほど、格が上がる理由

持ち込みが測っているのは暦の上の時間ではなく手をかけられた時間だからこそ、その長さは風格の証として読まれます。幹肌は厚みを増し、十年前には持ち得なかった質感を帯びます。葉は、より細かく密な塊へと分かれていきます。幹の輪郭は、日本の美意識が緩やかにwabi-sabi(侘び寂び、"古さと不完全さの中に見出される美しさ")とくくる、静かで急がない形へと落ち着いていきます。そのいずれも、肥料を多く与えたり、幹肌を彫り込んで古く見せかけたりすることでは早めることができません。職人たちは率直に、そうした近道は近くで見れば見抜けるものだと述べます。本当に長い持ち込みには、そうした綻びがありません。

だからこそ、正式な審査は、樹種や幹の劇的さとは別に、持ち込みそのものを独立した評価項目として扱います。国風盆栽展における最高賞の選び方について、日本盆栽協会自身の案内は、席構成の総合美やkaku(格、"木がどう評価されるかを決める風格")、用いている鉢や卓との調和などとあわせて、それとは別に「培養の状態」も審査対象として挙げています。最近山から採取されたばかりの木は、幹がどれほど劇的であっても、何十年ものあいだ一貫した手入れの系譜のもとで育てられてきた木とは、違う基準で見られます。ここでいう格は、値段の話ではありません。むしろ、職人の世界における年功に近いものです。木が自らの位置を得るのは、弟子が師匠の信頼を得るのと同じように、ゆっくりと、一つひとつの季節に実際に手をかけられて初めてのことです。

結び

盆栽の持ち込みは、受け継ぐことも、買い取ることも、急いで短縮することもできない、数少ない要素の一つです。それは、実際の鉢の中で、実際の誰かの手のもとで、一年また一年と費やされていくしかないものです。

Azukariが拠って立つ考え方も、これに近いものです。木は日本で作家のもとで手入れを受け続け、持ち込みに加わる季節はそのつど記録されます。ある年の植え替え、ある年の剪定というように。持ち主は、完成した物をただ手にしているのではなく、いまもその年月を積み重ねている途中の木に、途中から加わっていくことになります。

関連記事として、何代もの手を経て長い持ち込みを重ねてきた木々を追った「盆栽の銘木」、そして盆栽の中でもうひとつ、年月を近道できない場所について書いた「根張りが語る時間」もあわせてお読みください。

参考リンク

  1. 四国新聞「持ち込み」(BONSAI用語辞典・英語版) — 持ち込みを、木そのものの樹齢とは別に、鉢の中で培養されてきた年数と定義する英語解説。
  2. 盆栽妙「持ち込み」用語辞典 — 持ち込みを、鉢の中で培養されてきた年月・経過と定義し、幹肌の質感や枝の細かさへの影響を説明する用語解説。
  3. Bonsai Mirai「Pinching vs. Pruning」 — 剪定と芽摘みを季節ごとに繰り返すことで、何年もかけて枝の密度が作られていく過程と、伸ばして切り戻すだけでは同じ結果が得られない理由について。
  4. Bonsai Empire「Repotting Bonsai, How to Repot Your Tree」 — 植え替えの頻度について、成木となった盆栽はおおむね三年から五年に一度植え替えられると説明する記事。
  5. 日本盆栽協会 イベント案内 — 国風賞の審査基準として、木の「格」と「培養の状態」が挙げられていることを示す公式ページ。
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