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盆栽の銘木

懸崖仕立ての五葉松

盆栽には、「銘木(めいぼく)」と呼ばれる木があります。

ただ古いだけの木ではありません。何百年ものあいだ人の手を経て、その時代時代の作家に育てられ、いまも生き続け、いまも姿を変え続けている木のことです。銘木には多くの場合、その経歴にちなんだ名前、「銘」がつけられています。名刀や名碗が銘を与えられるのと同じように、単なる無名の木ではなく、確かな経歴を持つ一本であることを示す名前です。

銘木とは、一本の木に刻まれた、何世代分もの手入れの記録です。

銘木とは何か

盆栽の世界で銘木と呼ばれる木には、いくつか共通する条件があります。樹齢が長いこと。経歴、つまり誰の手を経てきたかがある程度たどれること。そして、その姿が長い年月の手入れによって完成度を高めてきたことです。

銘木は珍しい種類の木ではありません。五葉松や真柏、赤松といった、盆栽ではごく一般的な樹種の中から生まれます。違うのは、時間の長さと、そこに関わった手の数です。一人の作家が短期間で仕立てた木ではなく、何代もの作家が少しずつ手を加え、姿を整えてきた木。その積み重ねこそが、木を銘木たらしめています。

歴史ある銘木の例

日本には、経歴の確かな銘木がいくつも伝わっています。ここでは一次情報で裏付けの取れる例を三つ紹介します。

五葉松 銘「日暮し」

さいたま市大宮盆栽美術館が所蔵する五葉松で、推定樹齢は450年と伝わります。名前の由来は、一日中眺めていても飽きないという意味から。昭和初期に四国で見出され、新潟の盆栽名人・中野忠太郎氏のもとで大切にされてきました。山で採取されてから鉢に収められるまで長い準備の年月を経て、そのごつごつとした山の木らしい味わいを保ちながら、名人たちの手で品格を備えた姿へと仕立てられてきたと伝わります。同館ではコレクションを代表する一本として紹介されています。

五葉松 銘「三代将軍」

江戸幕府三代将軍・徳川家光が愛蔵したと伝わる五葉松で、推定樹齢は550年。江戸城内で育てられ、明治維新の頃に城外へ移されました。現在は宮内庁が管理する皇居内の大道庭園で、平均樹齢およそ100年という約500鉢の盆栽とともに育てられています。徳川家光は盆栽を深く愛好した将軍として知られ、この木はその逸話を伝える生きた証人です。

皇居ゆかりの赤松

皇居ゆかりの盆栽。宮内庁の大道庭園では、五葉松「三代将軍」のほかにも多くの盆栽が代々受け継がれ、手入れされている。

東京都立園芸高校の五葉松

もう一本、徳川家光ゆかりと伝わる五葉松が、東京都立園芸高校にあります。学校の記録によれば、江戸城内で育てられていた木が明治維新までに城外へ移され、明治44年(1911年)、教材とするために東京府が小山田家から買い入れ、同校に管理が託されました。以来100年以上、教育の現場で生徒たちの手を借りながら育てられ続けています。平成11年3月には、日本盆栽協会の貴重盆栽に登録されました。

一本の将軍ゆかりの五葉松が、皇居と学校という二つの場所で、それぞれ別の道をたどりながら今日まで伝わっている。これも銘木の経歴の面白さです。

世代に渡って継承する

日本の歴史ある盆栽園には、3代、4代と受け継がれてきた盆栽が少なくありません。以前の記事「盆栽は完成しない」でも触れた通り、盆栽は一人の作家の代で完結するものではないからです。

銘木は、一人の所有者や一人の作家がゼロから作り上げたものではありません。山で見出され、最初の作家の手で仕立てられ、次の所有者に渡り、次の作家がまた手を入れる。その繰り返しの中で、木は少しずつ品格を増していきます。五葉松「日暮し」も「三代将軍」も、経歴をたどれば、必ず複数の手が関わっています。銘木とは、途切れなかった手入れの連鎖そのものだと言えます。

作家は下の世代に向けて作る

盆栽作家は、自分の代で木を完成させようとはしません。

木の寿命は、多くの場合、一人の作家の人生より長く続きます。だからこそ作家は、自分がいま手をかけている姿を最終形だと考えず、次の世代がまた手を入れられる状態を保つことを目指します。今年どこまで伸ばすか、どの枝を残すか。その判断は、自分が見届けられない先の姿を見据えて下されています。

銘木がいまの姿にたどり着いているのは、偶然ではありません。歴代の作家が、自分の代で完成させることをあきらめ、次の世代に向けて木を育て続けてきた結果です。銘木は、その積み重ねが目に見える形になったものです。

銘木は誰のものか

銘木には、たしかに「所有者」がいます。けれど、その所有者は、木の歴史のすべてを持っているわけではありません。木の時間のうち、ほんの一区間を預かっているに過ぎません。

五葉松「日暮し」は中野忠太郎氏という名前とともに語られますが、その前にも後にも、木を手入れしてきた人がいます。「三代将軍」も、徳川家光という名前は伝わっていても、江戸城から皇居の大道庭園に移るまでの間、数え切れない人の手を経てきました。

銘木の「持ち主」とは、その木の歴史の一区間を預かる人のことです。

この「預かる」という感覚は、日本の盆栽文化の中に古くからある考え方です。所有するとは、独占して抱え込むことではなく、次に渡す責任を引き受けることに近い。銘木がいまも生きているのは、歴代の所有者と作家が、この感覚を共有してきたからだと言えます。

結び

銘木は、一代の仕事ではありません。何人もの手が、何十年、時には何百年をかけて積み重ねてきた、途切れない手入れの記録です。

Azukariは、この預かるという考え方を、いまの時代の仕組みに置き換えたものです。木は日本で作家のもとに育ち続け、持ち主は季節ごとの記録を通じて、その時間の一区間に加わります。今日育てられている木の中にも、いつか銘木と呼ばれる木があるかもしれません。その未来の銘木を育てる循環に加わることが、Azukariを通じてできることです。

関連記事として、「盆栽になぜ、名前がある?」「日本の銘木盆栽、最後の世代」第100回国風盆栽展のレポートもあわせてお読みください。

参考リンク

  1. さいたま市大宮盆栽美術館 コレクション — 五葉松「日暮し」を含む同館のコレクション紹介ページ。
  2. 東京都立園芸高等学校「園芸高校の教育財産」 — 徳川家光ゆかりの五葉松の経歴、明治44年の小山田家からの買い入れ、平成11年の貴重盆栽登録についての学校記録。
  3. 宮内庁「新年春飾り作成(皇居内大道庭園)」 — 皇居内の大道庭園における盆栽の管理を紹介する宮内庁公式ページ。
  4. 東京新聞デジタル「宮中の盆栽」 — 大道庭園の約500鉢の盆栽と、徳川家光が愛蔵した樹齢550年の五葉松についての記事。
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