
明治44年、西暦でいえば1911年。東京府は小山田家から一本の五葉松を買い上げ、都立園芸高校に引き渡した。鑑賞のためではなく、教材として使うためだった。その時点ですでに古木だった。江戸城内で育てられ、幕府が終わる頃に城外へ移された木である。買い入れから100年以上が過ぎたいまも、水をやり、枝を整えているのはこの学校の生徒たちだ。
この木のように経歴の確かな木を、盆栽の世界では「銘木(めいぼく)」と呼ぶ。銘木には多くの場合、その経歴にちなんだ「銘」という名前がつく。名刀や名碗が銘を与えられるのと同じように、無名の木ではなく確かな経歴を持つ一本であることを示す名前である。
銘木とは、一本の木に刻まれた、何世代分もの手入れの記録である。
銘木を決めるのは時間と手の数であり、樹種ではない
盆栽の世界で銘木と呼ばれる木には、いくつか共通する条件がある。樹齢が長いこと。経歴、つまり誰の手を経てきたかがたどれること。そして、その姿が長い年月の手入れによって完成度を高めてきたことだ。
銘木は珍しい種類の木ではない。五葉松や真柏、赤松といった、盆栽ではごく一般的な樹種の中から生まれる。違うのは時間の長さと、そこに関わった手の数である。一人の作家が短期間で仕立てた木ではなく、何代もの作家が少しずつ手を加え、姿を整えてきた木。その積み重ねが、木を銘木にする。
三本の木が、同じ型を裏付けている
日本には、経歴の確かな銘木がいくつも伝わっている。ここでは一次情報で裏付けの取れる例を三つ紹介する。
五葉松「日暮し」は推定樹齢450年
さいたま市大宮盆栽美術館が所蔵する五葉松で、推定樹齢は450年と伝わる。名前の由来は、一日中眺めていても飽きないという意味から。昭和初期に四国で見出され、新潟の盆栽名人・中野忠太郎氏のもとで大切にされてきた。山で採取されてから鉢に収められるまで長い準備の年月を経て、そのごつごつとした山木の味わいを保ちながら、名人たちの手で品格を備えた姿へと仕立てられてきたと伝わる。同館ではコレクションを代表する一本として紹介されている。
五葉松「三代将軍」は、将軍の城から天皇の庭へ移った
江戸幕府三代将軍・徳川家光が愛蔵したと伝わる五葉松で、推定樹齢は550年。江戸城内で育てられ、明治維新の頃に城外へ移された。現在は宮内庁が管理する皇居内の大道庭園で、平均樹齢およそ100年という約500鉢の盆栽とともに育てられている。徳川家光は盆栽を深く愛好した将軍として知られており、この木がいまも大道庭園にあること自体が、その愛好の数少ない物的な痕跡になっている。

皇居ゆかりの盆栽。宮内庁の大道庭園では、五葉松「三代将軍」のほかにも多くの盆栽が代々受け継がれ、手入れされている。
1911年に教材として買われた松が、いまも生徒に育てられている
冒頭で触れた都立園芸高校の五葉松も、徳川家光ゆかりと伝わる木である。学校の記録によれば、江戸城内で育てられていた木が明治維新までに城外へ移され、明治44年(1911年)、教材とするために東京府が小山田家から買い入れ、同校に管理が託された。平成11年3月には、日本盆栽協会の貴重盆栽に登録されている。
同じ将軍ゆかりの木を、いま二つの機関が別々に受け継いでいる。一方は皇居の敷地を管理する宮内庁、もう一方は剪定を習う生徒たちが手を動かす公立高校だ。どちらも経歴(けいれき)という点では、対等な記録である。
老舗の盆栽園では、3代・4代の継承が珍しくない
日本の歴史ある盆栽園には、3代、4代と受け継がれてきた盆栽が少なくない。以前の記事「盆栽は完成しない」でも触れた通り、盆栽は一人の作家の代で完結するものではないからだ。
銘木は、一人の所有者や一人の作家がゼロから作り上げたものではない。山で見出され、最初の作家の手で仕立てられ、次の所有者に渡り、次の作家がまた手を入れる。その繰り返しの中で、木は少しずつ品格を増していく。五葉松「日暮し」も「三代将軍」も、経歴をたどれば、必ず複数の手が関わっている。
作家は下の世代に向けて作る
盆栽作家は、自分の代で木を完成させようとはしない。木の寿命は、多くの場合、一人の作家の人生より長く続く。だからこそ作家は、自分がいま手をかけている姿を最終形だと考えず、次の世代がまた手を入れられる状態を保つことを目指す。今年どこまで伸ばすか、どの枝を残すか。その判断は、自分が見届けられない先の姿を見据えて下されている。
銘木がいまの姿にたどり着いているのは、偶然ではない。歴代の作家が、自分の代で完成させることをあきらめ、次の世代に向けて木を育て続けてきた結果である。
所有者が預かるのは、記録のうちの一区間だけ
銘木には、たしかに「所有者」がいる。けれど、その所有者は、木の歴史のすべてを持っているわけではない。木の時間のうち、ほんの一区間を預かっているに過ぎない。
五葉松「日暮し」は中野忠太郎氏という名前とともに語られるが、その前にも後にも、木を手入れしてきた人がいる。「三代将軍」も、徳川家光という名前は伝わっていても、江戸城から皇居の大道庭園に移るまでの間、数え切れない人の手を経てきた。
銘木の「持ち主」とは、その木の歴史の一区間を預かる人のことである。
この「預かる」という感覚は、日本の盆栽文化の中に古くからある考え方だ。所有するとは、独占して抱え込むことではなく、次に渡す責任を引き受けることに近い。銘木がいまも生きているのは、歴代の所有者と作家が、世代を超えてこの感覚を共有してきたからにほかならない。古い盆栽を見るときに当てるべき物差しは、樹齢の長さだけではなく、その経歴に何人の手が記録されているかである。
今日の若木が、明日の銘木になる
銘木は、一人の所有者が木をよく世話したことで生まれるのではない。次の担い手へ渡す判断を、十分な数の所有者が重ねてきたことで生まれる。
Azukariは、この受け渡しの仕組みをいまの時代に合わせて組み直したものだ。木は日本で作家のもとに育ち続け、持ち主は一度きりの取引ではなく、季節ごとの記録を通じてその時間の一区間に加わる。この仕組みのもとで今日育てられている木の中にも、いつか自分の銘を持つ木が出てくるかもしれない。
関連記事として、「盆栽になぜ、名前がある?」、「日本の銘木盆栽、最後の世代」、第100回国風盆栽展のレポートもあわせてお読みください。
参考リンク
- さいたま市大宮盆栽美術館 コレクション — 五葉松「日暮し」を含む同館のコレクション紹介ページ。
- 東京都立園芸高等学校「園芸高校の教育財産」 — 徳川家光ゆかりの五葉松の経歴、明治44年の小山田家からの買い入れ、平成11年の貴重盆栽登録についての学校記録。
- 宮内庁「新年春飾り作成(皇居内大道庭園)」 — 皇居内の大道庭園における盆栽の管理を紹介する宮内庁公式ページ。
- 東京新聞デジタル「宮中の盆栽」 — 大道庭園の約500鉢の盆栽と、徳川家光が愛蔵した樹齢550年の五葉松についての記事。