
2024年5月8日の夜、熊本県の盆栽園に何者かが侵入し、33本の木を持ち去った。50年近くにわたって受賞歴のある木を育ててきた園だった。中には仕上がるまでに何十年もかかった木もある。「本当に腹立たしいし、悲しい」。園の経営者、佐々木さんは後に South China Morning Post の取材にそう語っている。「私たちは長い年月をかけてこれらの木を育ててきました。仕上がるまでには長い時間がかかります。これは芸術作品なのです」。孤立した事件ではない。日本の生産者団体によれば、2019年には十件前後の盗難が報告され、2020年に入る頃には三か月で20件の被害が相次いだ。2024年5月時点では、ある業界団体が直前の三か月で25件の盗難を把握しており、そのうち一件だけで被害額はおよそ19万ドル相当にのぼる。盗まれた木は中国、ベトナム、東南アジア各地を経由し、さらに遠くの買い手に渡っていると見られている。
日本で盆栽の盗難が増えているのと、弟子入りできる場所が減っているのは、根は同じだ。仕上がった名品盆栽への海外需要が、次の世代を育てられる人材の数を追い越してしまっている。
この二つの事実は、たいてい別々に語られる。一方は事件のニュースとして、もう一方は高齢化する伝統工芸についての付け足しとして。しかし並べてみると、これは一つの供給の問題を描いている。海外の買い手が欲しがっているのは、盗まれた木のような、何十年もかけて形づくられ、すでに仕上がった木だ。何もないところから一本を育てるのにかかる時間は、昔から変わらない。それを育てられる人を一人育てる時間も、同じだけかかる。
盗難の連鎖が、木の行き先を示している
盆栽の世界市場を数十億ドル規模とする推計もあるが、何を数えているかによって数字は大きく揺れ、独立に裏を取るのは難しい。むしろ追いやすいのは、盗まれた木がどこへ向かっているかだ。日本の盆栽園や捜査関係者は、組織的なグループが特定の木を狙って盗み、国外へ持ち出し、出どころをあえて詮索しないコレクターに転売していると見ている。これを受けて、これまで比較的開かれていた園でも防犯体制の強化が進んでいる。
こうした事態は、残った木の値打ちを裏付けるものでは全くない。むしろ、保険をかけにくく、警備の手間がかかり、育てる側の負担を増やすだけだ。在庫を美術館並みに守らなければならない市場は、健全な市場とは言えない。それはただ、希少な市場だということだ。
弟子入りにかかる時間は、昔からまったく縮んでいない
木を早く育てれば解決するという話ではない。名品盆栽で本当に育てられているのは木そのものというより、それを形づくる人の腕だからだ。盆栽家・木村正彦氏は15歳のとき、大宮盆栽村でも古参の庭園のひとつ、藤樹園で師匠の浜野氏に弟子入りした。独立を任されるまでに11年かかっている。この時計は今も速くなっていない。ドイツ出身の盆栽家ヴァレンティン・ブローゼ氏は、東京の小林國雄氏の春花園BONSAI美術館で三か月の入門コースを受けたのち、正式な弟子入りを願い出た。小林氏のもとで3年間修業し、日本にいられる限られた時間を使い切るため、一日18時間働く日もあったという。帰国後はドイツで教室を開き、日本への視察ツアーも企画している。師匠から教わったのは、木の一本一本の個性を見分ける目だった、とブローゼ氏は振り返る。盆栽は言葉で語らない。だからこそ、それを読み取れるようになるには、ただ見つめ続ける年月が要る。
ブローゼ氏の例は、後継者不足を単純な「やる気の問題」として片づけられないことを示している。日本の外から来た人間でも、3年と一日18時間の労働を差し出す覚悟のある人はいる。ボトルネックは意欲ではない。弟子を取れる立場にある名工の数そのものが少なく、その一人ひとりが一生のうちに育てられる人数にも限りがあるということだ。
創建百年の盆栽村が、少ない担い手に賭けている
大宮盆栽村がかたちを持ち始めたのは1925年、1923年の関東大震災によって東京市中での盆栽の管理が難しくなり、庭園主たちが広い土地ときれいな水と空気を求めて移り住んだことがきっかけだった。1930年にはおよそ30の庭園がここに軒を連ね、後に木村氏が弟子入りする藤樹園もそのひとつだった。現在、村に残る庭園は6つである。
これは単純な衰退の物語ではない。村は2025年に開村百年を迎え、さいたま市は一年をかけて展示や催しを重ねた。地震と世界大戦、そして経済の移り変わりを生き延びた百年は、それ自体が確かな達成だ。しかしその裏側にある算数——30の庭園が6つへと絞られてきたという事実——は、次の世代を育てられる現役の名工がいかに少なくなっているかを示す、最も分かりやすい数字でもある。
預かりが変えられること、変えられないこと
日本では、木のオーナーと職人のあいだに「預かり」に近い慣行が古くから存在してきた。オーナーは木とその方向性についての発言権を提供し、職人は日々の手間と技術を提供する。両者は木がどこへ向かうのかについて連絡を取り合い続ける。Azukariは、この同じ枠組みの上に成り立っている。これは上で述べた名工不足そのものを解決するわけではない——どんな所有の仕組みも、修業にかかる年月を短くすることはできない。この仕組みが変えるのは、木を現役の職人の一人とつなぎ続け、誰にも見られないまま個人のコレクションの中に消えていくのを防ぐという点だ。この形のもとでは、木は日本にとどまり、オーナーが名前を挙げられる庭園で、水やりも針金かけも季節ごとの仕立ても、遠く離れたオーナーの目に届くかたちで手入れされ続ける。この関係の「見せ方」の側——鉢や卓、木をどの角度で見せるかを選ぶこと——もまた、日本ではひとつの独立した道とされていて、景道(けいどう)と呼ばれている。
確かめるべきは、木の樹齢ではない
売りに出ている名品盆栽には、たいてい樹齢の数字がついている。八十年、百年、それ以上のこともある。だが、最初に確かめるべきはその数字ではない。大切なのは、その木にまだ名のある職人がついているかどうかだ。買い手が原理的には訪ねられる庭園があり、取引が終わった後もその木への手入れが続いているかどうか。そうした職人がついていない木は、どれほど古くとも、所有者が変わった日に事実上手入れが止まる木だ。次の木村氏や次のブローゼ氏を育てられる庭園がこれだけ少なくなっている以上、それこそが、後から補うのが難しいものなのだ。
庭園は30から6へと絞られた。木はまだそこにある。足りないのは木そのものではない。次の一人を育てようとする、その手のほうだ。
参考リンク
- South China Morning Post「Bonsai burglars: Japan sees surge in tiny tree thefts, prompting 'angry' growers to boost security」 — 2019年から2024年5月の熊本での盗難までの被害統計と、経営者・佐々木さんの証言。
- Semafor「Japan's bonsai trees are being targeted for theft and trafficking」 — 直近の盗難件数と、中国・ベトナム・東南アジアを経由すると見られる密輸ルート。
- Japan Guide「Omiya Bonsai Village」 — 1923年の関東大震災を受けた1925年の大宮盆栽村創建の経緯。
- 大宮盆栽美術館「About the Omiya Bonsai Village」 — 1930年に約30園を数えた最盛期と、現在の6園について。
- 大宮盆栽村「Gardens」 — 藤樹園を含む、現在村にある6つの庭園の一覧。
- 日本国政府 We Are Tomodachi「Enchanted by the Bonsai Universe」 — 小林國雄氏の春花園BONSAI美術館でヴァレンティン・ブローゼ氏が修行した経緯。
- Wikipedia「Masahiko Kimura (bonsai artist)」(英語版) — 木村正彦氏が藤樹園・浜野氏のもとで積んだ11年間の修行。