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改作という決断

幹に大きく手が入り、枝順が整えられた黒松の盆栽

改作の対象になることが多い黒松。その幹筋も枝順も、何十年にもわたって決め直されてきた結果です。

盆栽は、何十年もかけて完成したように見えていても、作家の目には、まだ一つの「途中経過」でしかないことがあります。

改作(かいさく)とは、すでに完成して見える盆栽を、あえて解体して作り直すことです。持ち主が当然そこにあるものと思っていた枝を落とし、木を見せる角度そのものを変え、まだ存在しない姿を何年も先に思い描いた上で、木の構造を組み直していく作業を指します。

完成して見える木を、あえて解体する

多くの人にとって、20年、40年と手入れされてきた盆栽は、すでに「できあがった木」に見えます。幹筋は定まり、枝は決まった位置に収まり、その姿は持ち主にとってすっかり見慣れたものになっています。改作は、まさにそこから始まります。多くの人がすでに完成したと呼ぶような木を、あえて対象にするのです。ある作家は、すでに展示水準に達していた真柏の改作に踏み切った理由を、率直にこう言い表しています。手入れは行き届いていた、しかしそれは「望ましくない状態のまま、行き届いていた」のだと。木には何の問題もありません。ただ、それ以上のものになる方向へは、もう進んでいなかった。そして通常の剪定の積み重ねだけでは、その差は埋まらなかったのです。

これが、季節ごとの手入れと改作の本質的な違いです。通常の剪定は、すでに決まった姿を整えるものです。改作は、その「決まった姿」そのものを一度白紙に戻します。日本の盆栽の現場で語られる改作には、一つの技術というより、いくつかの具体的な手立てがあります。鉢の中で幹の角度を大胆に変えること。大きく切り込んで、まったく別の枝順を作り直すこと。幹全体が描く線そのものを見直すこと。そして、切り戻しを繰り返した結果、芯(伸びる先端の部分)がこぶのように太くなったり形を崩したりしている場合には、新しい芯に立て替えること。こうした作業の多くは、木が鉢から抜かれ、枝だけでなく根の構造そのものを見直せる、植え替えの時期に合わせて行われるのが一般的とされています。

大枝を落とす勇気

木に定着した一本の枝には、必ず経歴があります。何年もの針金かけ、太らせ、その位置に育つまでの辛抱です。改作は、作家にその経歴を脇に置き、より冷めた問いを立てることを求めます。この枝は、これから作ろうとしている姿に必要な枝なのか、それとも、これまでの姿だけに必要だった枝なのか。ある古いブラックソーンの改作の記録は、その問いがどれほどの代償を伴い得るかを具体的に示しています。作家は枝を一本ずつ検討しながら切り戻し、十年以上かけて育った枝も惜しまず落とし、切り株のいくつかは、なかったことにせず、あえて神(じん、皮を剥いで白骨化させた露出木部)に仕立て直しました。大枝を一本落とすことは、その枝だけの問題では終わりません。多くの場合、その周囲やさらに上にあるすべての枝を、あらためて見直す必要に迫られます。訓練された一本の木の上では、どの枝も互いに無関係ではいられないからです。

改作が、技術と同じくらい胆力の問題として語られるのはこのためです。日常の手入れでの見誤りは、一、二年もすればまた元に戻せます。しかし幹元から落とした大枝は戻りません。そして、樹冠の大部分を一度に失った木がその傷から立ち直るには、木自身に相応の体力が残っている必要があります。改作に踏み切る作家は、木が一年、あるいは数年にわたって、以前より見劣りする姿になることを受け入れた上で、それでも必ずよくなるという自分自身の判断だけを頼りに、その一刀を下しているのです。

十年先の姿から逆算する

見誤りの代償が一方向にしか作用しないからこそ、改作は思いつきで行われることがほとんどありません。記録に残る明快な事例はいずれも、作家がのこぎりを入れるよりずっと前から、すでに新しい姿を思い描いていたことを示しています。あるブラックソーンの改作を手がけた作家は、完全な作り直しを何年も前から構想し、木の側の準備が整うのを、そして自分自身の準備が整うのを待ってから、ようやく実行に移したと記しています。新しい設計は、実際に最初の一枝が切られるずっと前から、その作家の中にすでに存在していたのです。まだ存在しない木の姿を先に見て、それから実際の木を作っていく。この間にこそ、改作という仕事の大半が詰まっています。まだない幹筋、まだない正面、まだない枝の構造を思い描き、そこに近づく妨げとなっている今の木の部分を、一つずつ切り落としていく。改作の直後に持ち主が目にする木は、作家が思い描いている木そのものではありません。それは、枝を落とされて疎らになった、計画された姿からはまだ何年も手前の、ごく初期の段階に過ぎないのです。

木の可能性を信じる仕事

これらすべては、いまはまだ誰の目にも見えていないその木の姿を、作家自身は確かに見えているのだという、一種の確信なしには成り立ちません。完成して見える盆栽は、持ち主にそれを疑う理由をほとんど与えません。それでも改作が起こるのは、作家が同じ木を見ながら、その木がまだ許されていない何かを、そこに見出すからです。二十年ものあいだ邪魔をしてきただけの枝の陰に隠れていた、より力強い幹筋。木自身がまだ一度も見せたことのない、別の、より良い正面。その確信に基づいて実際に手を下し、そしてしばしば見誤り、それでもなおその見誤りが起こり得るのだと知っていること。それこそが、木を維持するだけの人と、木を作る作家とを分ける、ほとんど本質に近い部分です。

結び

改作は、以前の記事でも書いた「盆栽は完成しない」という考え方を、もっともはっきりと形にしたものです。ほとんどの季節、その事実は、芽を摘む、針金を外すといった、ごく静かな形で現れます。そしてときに、それは完成して見える一本の木を、あえて作り直すという決断として現れます。作家が、いま目の前にある木の中に、まだそれ以上のものが眠っていると信じたときに。

Azukariでは、木の手入れは、預かった瞬間で止まるものではなく、日本で作家のもとに継続していきます。持ち主が受け取る季節ごとの記録の中には、いつか、こうした一年が含まれることもあるでしょう。日常の刈り込みではなく、何十年も手入れを託されることを前提にした木だからこそ耐えられる、作り直しという一年です。改作は、失敗の訂正ではありません。作家が、その木にはまだ自分自身になり切れていない部分が残っていると判断したときに、初めて起こることです。

参考リンク

  1. Faites du Bonsaï「盆栽の日本語用語集」 — 改作(かいさく)を、日常の手入れとは異なる、木の様式と大きさそのものの完全な作り直しと定義する用語集。
  2. Bonsai Workshop「Reworking a Show-Ready Tree」 — すでに展示水準に達していた真柏を改作した作家自身の記録。季節ごとの手入れの積み重ねだけでは、「望ましくない状態のまま行き届いた」木をそれ以上の段階へ進められなかったという理由が語られている。
  3. Hans van Meer Bonsai「Restyling My Old Blackthorn Bonsai (Completely)!」 — 実行の何年も前から構想されていた大規模な改作の記録。枝を一本ずつ検討しながら落とし、切り株を神に仕立て直した経緯が具体的に記されている。
  4. 盆栽.com「盆栽のつくり変え4つの具体例」 — 幹の角度変更、枝順の作り直し、芯の立て替えなど、改作の具体的な手立てと、植え替え時期を中心とした作業タイミングについて解説した記事。
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