
黒松、模様木 / Photo: Azukari
仕立ての行き届いた盆栽を眺めていると、枝が単なる緑の塊には見えなくなってきます。根元近くから一本の枝が片側へ伸び、その少し上で反対側からもう一本が応え、さらに奥へ隠れるように三本目が控えている。一見しただけでは見落としがちですが、気づいてしまえばなくてはならない存在です。これはすべて、行き当たりばったりに出ているわけではありません。盆栽の枝は、幹の判断が目に見える形になったものであり、見るべき点さえ知っていれば、密に茂った樹冠も、始まりと途中と奥行きを持つひとつの構造として読み解けるようになります。
盆栽の枝は、ある決まった順序に従って配置されています。どこに枝があるか、隣の枝との間にどれだけ空間を残しているか、そして熟練の目がどんな枝を迷わず切り落とすか。それを読めるようになることが、木をただ眺めることから、木を実際に読み解くことへの入口です。
枝順――偶然ではなく設計図
日本の盆栽では、枝を仕立てていく順序をedajun(枝順)と呼びます。幹の下から始まり、あらかじめ書かれた大まかな筋書きに沿って上へと進んでいきます。一番下の枝は「一の枝」と呼ばれ、模様木であれば樹高のおよそ3分の1、直幹であればもう少し低く4分の1あたりの高さに置かれるのが目安とされます。この一の枝は、たいていの場合、木の中でもっとも太く長い枝でもあります。盆栽の枝は幹と同じように先端に向かって細くなっていくため、下の枝ほど太く、上に行くほど細く短くなるからです。二の枝は、一の枝からほぼ反対側、少し上の位置で応えるように配置されます。三の枝は奥、つまり後ろ側に置かれますが、正面から見たときに葉が少し見える程度に外側へ開いて配置されるため、木の姿は平面的な切り絵ではなく、奥行きを持って見えます。この三本の枝はおおむね等間隔の角度で幹を取り囲み、それより上に仕立てられる枝も左右交互に出しながら、頂点に近づくにつれて間隔を狭めていきます。これは、実際の木が梢に向かって枝葉を薄くしていく様子を、鉢の中で凝縮したリズムでもあります。
これは何ひとつ気まぐれではありません。枝の位置が少しでも高すぎたり、下の枝とちょうど反対の位置に重なったりすると、文章の中で一語だけ語順を間違えたときのように、木全体の読みが乱れてしまいます。一の枝、二の枝、そして奥に控える枝を見分けられるようになったとき、あなたが見ているものはもう単なる葉ではありません。ひとつの設計図です。
空間の取り方が、枝ぶりの良し悪しを分ける
枝の位置が半分だとすれば、残り半分は、あえて空けたままにしている場所です。盆栽の世界には、その基準を端的に言い表す言葉があります。「小鳥が枝に触れずに通り抜けられるくらいの空間を、枝と枝の間に残す」というものです。少し風流な表現に聞こえますが、その理屈はきわめて実際的です。枝が隣の枝と接してしまえば、その下の層に届くはずの光や風がさえぎられ、見る側の目が一本一本の枝を見分けるための手がかりも消えてしまいます。
そして、格の良し悪しがもっとも早く表れるのも、この空間の取り方です。枝を詰め込みすぎれば、幹の線そのものが枝の陰に隠れてしまいます。評価の高い盆栽とは、多くの場合、一本一本の枝がそれぞれ独立して読めるだけの余白を与えられている木のことです。枝と枝の間の空間は、枝そのものと同じくらい、木の見え方を左右する設計の一部です。それは言葉と言葉の間にある沈黙のようなもので、その沈黙がなければ、文章としてまとまりません。
忌み枝――熟練の目が迷わず切り落とす枝の形
木が伸ばす枝のすべてが、その順序の中に居場所を得られるわけではありません。木の姿を損なう枝の形は、日本の盆栽ではまとめてimieda(忌み枝、「避けるべき枝」の意)と呼ばれます。これらは弱った枝でも、病んだ枝でもありません。枝そのものの生育は健全であることも珍しくありません。問題とされるのは、その枝が木全体の読みにどう影響するかという点です。
代表的な例のひとつが「閂枝(かんぬきえだ)」です。幹のちょうど反対側から同じ高さで二本の枝が伸び、まるで幹に閂(かんぬき)を通したように見える状態を指します。英語圏の盆栽の教本でも、これとまったく同じ理屈から「バー・ブランチ(bar branch)」を避けるよう説き、幹の同じ位置に残す枝は一本だけにすべきだとされています。「車枝(くるまえだ)」もこれに近い問題です。一点から車輪の輻(や)のように複数の枝が放射状に出るもので、その一点に樹液が集中して不自然に膨らみ、幹が本来保つべき先細りの流れを崩してしまいます。幹や他の枝の上を横切る「交差枝」は、もっと単純な問題を引き起こします。見る側の目が追おうとしている輪郭線を、途中で断ち切ってしまうのです。
こうした枝の形は、まだ仕立てられていない木や、山から採取したばかりの素材にはむしろ当たり前に現れます。作家の仕事は、それらの枝がまだ太くならないうちに見極め、切り口が跡として残らないほど細いうちに取り除いていくことです。十年後に見て無理のない枝ぶりに見える木は、実際には、そうした静かな引き算を何年も積み重ねてきた記録でもあります。
枝を読めるようになると、見え方が変わる
ここまでの話は、盆栽そのものを変えるものではありません。変わるのは、見る側が何に気づくかです。枝順と、空間の取り方と、忌み枝という三つの視点が身につくと、それまで単に「枝が多い」「枝が少ない」としか見えていなかった木が、一の枝、二の枝、奥行きを添える後ろの枝、そして作家がその間にあえて残した沈黙を持つ、ひとつの構造として立ち上がってきます。これは、盆栽の正面や根張りを読むことや、樹形という設計図を読むことと同じ、地道な観察の積み重ねです。木を見る力は一部分ずつ身についていくものであり、枝は、読めるようになったとき、もっとも雄弁に語ってくれる部分のひとつです。
それはまた、静かに、誰かが積み重ねてきた年月を読むことでもあります。手入れの行き届いた枝ぶりには、それを仕立ててきた人の判断がそのまま刻まれています。何を伸ばし、何を止め、何を問題になる前に取り除いたか。Azukariでは、そうした枝の構造が今も日本で作家の手によって育てられ続け、その変化は季節ごとの記録として残されます。離れた場所にいる持ち主も、その記録を通じて、何年もかけて積み重ねられてきた静かな仕事の跡を追い、やがて読み解けるようになります。
参考リンク
- Evergreen Gardenworks「The Rules of Bonsai」 — 樹高のおよそ3分の1に一の枝を置く目安、最初の三本の枝が120度前後の角度を取ること、閂枝や車枝を避けるという規則、「小鳥が通り抜けられる空間を残す」という基準について。
- Bonsai Today「The Branches」 — 一の枝・二の枝・後ろ枝という構造、模様木と直幹それぞれの高さの目安、枝の角度と先細りについて。
- Bonsaiplace「Branch Selection 101」 — 閂枝と車枝、一点から複数の枝が出ることで幹の先細りが崩れる仕組みについて。
- Wikipedia「忌み枝」 — 忌み枝の定義と、車枝・閂枝・交差枝など、日本の盆栽で名付けられている枝の欠点の分類について。
- 近代出版「盆栽教室:枝配置のポイント」 — 模様木・直幹それぞれにおける一の枝の高さの目安、左右交互の枝順、前枝と後ろ枝による奥行きの表現について。