
日本の盆栽園で「この木はいくらですか」と尋ねても、木そのものか、少なくとも良い写真を見せない限り、すぐには答えが返ってこないことがほとんどです。確認できる相場表はなく、樹齢百年の黒松が今シーズンいくらであるべきかを固定した公開リストもありません。最終的に書き留められる数字は、どこかで調べて分かるものではありません。一本一本、その場で導き出されるものです。
盆栽の値段は、市場から読み取るものではありません。樹齢・格・経歴・仕立てた作家という四つを見比べながら、その四つを同時に見極められる目利きの判断によって、一本ごとに個別に決められるものです。
値段が実際に見ているもの四つ
盆栽園に何が値段を左右するのか尋ねると、たいてい同じ顔ぶれが挙がります。樹種とその育てにくさ、jurei(樹齢、仕立てを始めてから数えた木の年数)、仕立てられた姿の完成度、誰が仕立てたか、そして鉢。この四つは、それぞれ単独で見られるものではありません。
樹齢が重要なのは、それが人の手で作り出せないものだからです。この点は樹齢がなぜ価値になるのかで詳しく扱いました。けれど、同じ樹齢の木が二本あっても、kaku(格、幹や幹肌、これまでの手入れの年月から読み取られる木の格)を加味すると、値段はまったく違ってくることがあります。この違いについては位は目安であるで扱った通りです。さらにkeireki(経歴、誰が育て誰が持ってきたかという記録)も関わります。系譜のたどれる木は、見た目が同じでも記録のない木とは違う値段になります。この点は盆栽の価値は記録にあるで詳しく述べています。そして、仕立てた作家そのものも独立した要素です。何代にも渡って手が入れられてきた銘木のように、すでに愛好家に名の知られた作家が仕立てた木は、無名の作家による同等の木より高く値付けされる傾向があります。盆栽園が値段を見極めるとき、実際にはこの四つを同時に見ているのであって、単純に足し算しているわけではありません。
相場表のない世界
日本の盆栽園の多くでは、大半の木に値札そのものがついていません。訪れた人に伝えられるのは、iine(言い値、公開された表から読み取る数字ではなく、売り手が名乗る値段)です。会話の出発点であって、固定された数字ではありません。買い手が事前に確認できる公開の相場のようなものは存在せず、見た目が似た木でも園によって値段が違うことがあります。それぞれの園主が、自分自身のその木の見立てをもとに数字を名乗っているのであって、共有された表を参照しているわけではないからです。
日本の盆栽の世界は、これを木の質の判定とは意図的に切り離しています。国内で最も権威ある展示会「国風盆栽展」では、日本盆栽協会の説明によれば、席構成の総合美や風格、鉢や卓との調和、培養の状態などが総合的に審査されます。これは木の格に対する判定であって、値段ではありません。展示されている木は、その会場では販売されていません。購入はすぐ近く、少し歩いた先で行われます。毎年2月、同じ週に、全国の盆栽園が集まる別の即売会「立春盆栽大市(りっしゅんぼんさいたいち)」が、審査会場とは別の会場で開かれるのです。木の格は、一つの建物の中で審査員たちの合議によって定まり、値段は、もう一つの建物で、園主一人ひとりの交渉によって決まります。日本は、この二つを一つの数字にまとめません。この切り分け自体が、値段の決まり方の一部になっています。

一本の木を囲んで人々が鑑賞する様子を描いた図。盆栽の値段は、こうした一本一本への個別の判断から生まれるのであり、相場から読み取られるものではありません。
値段と価値は別の話
樹齢数百年と伝えられるある松は、高松で開かれた国際的な盆栽の集まりで、およそ130万ドルで取引されたと報じられています。この数字は、慎重に扱うべきものです。これは例外であって、基準ではありません。同じくらいの樹齢・格・経歴を持つ木の大半は、この金額に近づくことすらありません。この取引が示しているのは、ある一日に、ある売り手が、ある買い手に対して、その一本だけに提示した数字であって、同じような樹齢の松がこれから期待できる相場ではないからです。だからといって、盆栽が金融商品になるわけではありません。報じられた取引額は、他のどの木の値段がこれからどう動くかを示すものでもありません。
これは、盆栽の価値は記録にあるで述べた区別と同じです。裏付けのある記録は、木の価値を読み取れるものにします。けれど、値段が上がっていくことを約束するものではありませんし、これから値段がどう動くかについて何かを語るものでもありません。値段とは、一つの、その場限りの出来事です。ある園が名乗り、ある買い手が受け入れた数字にすぎません。一方、盆栽の世界で言う「価値」は、格に近いものです。樹齢・格・経歴を足し合わせ、思い込みではなく根拠をもって、一本一本読み取り、語られるものです。この二つは重なり合いますが、どちらか一方がもう一方を決めるわけではありません。
値段を決める目
実際に数字を口にするのは、たいていその園の園主か、業界内で信頼されているごく一部の業者や審査員です。mekiki(目利き、本物を見極める、鍛えられた目)と呼ばれる存在です。日本の茶の湯の世界にも、これによく似た役割があります。hakogaki(箱書き)は、名の通った茶人が茶碗や道具を収める箱に直接書き記すもので、表千家の説明によれば、その品が本物であることを確かめると同時に、次にそれを受け取る人へ品の歴史を伝える役割を担っています。茶碗にも盆栽にも、これに代わる相場表は存在しません。あるのは、鍛えられた一つの目です。
だからこそ、同じ木を二つの園に見せれば、違う数字が返ってくることがあります。どちらの数字も間違いではありません。それぞれが、樹齢・格・経歴・作家という同じ四つの要素を、その日、その会話の中で、一人の目利きがどう読み取ったかを映しているのです。
この考え方が実践に残すもの
ここまでの話は、作家が毎朝している仕事を何も変えません。水やり、針金かけ、厳しい冬を越えたあとの一季節の回復、どの枝を残すかという判断。値段という数字がその季節に付けられるかどうかにかかわらず、これらは変わらず行われる仕事です。値段が加えるのは、ある日、ある目利きが、木の樹齢・格・経歴・作家をどう読み取ったかという、一つの正直な記録にすぎません。
Azukariは、新しい数字の仕組みを作ることを目指しているわけではありません。目指しているのは、その数字の土台になっている記録そのものを見えるようにすることです。木は日本で作家の手入れを受け続け、季節ごとの手入れは、目利きが値段を口にする前に確かめたいであろう情報と同じものとして、日付の入った記録に残されます。木を託されている人が、どこにいても、その値段が何の上に成り立っているのかを、はっきりと見られるようにするためです。
参考リンク
- Bonsai Empire「Bonsai Prices」 — 盆栽園が値付けの際に重視する樹齢・仕立て・樹種・鉢といった要素について。
- Bonsai Empire「The Most Expensive Bonsai Tree」 — 高松で開催された国際盆栽大会で、樹齢数百年と伝わる松がおよそ130万ドルで取引されたと報じられていることについて。
- BonsaiQ「盆栽は本当に高いのか!?盆栽の値段の決め方」 — 多くの盆栽園では固定の価格表ではなく言い値で値段が示されること、樹種・樹齢・造形・作者・鉢が値段を左右する標準的な要素であることについて。
- 日本盆栽協会「国風盆栽展・イベント」 — 国風賞の審査基準(席構成の総合美や風格、鉢や卓との調和、培養の状態)について。
- 現代盆栽「第100回『国風盆栽展』」 — 国風盆栽展という審査会と、同時期に別会場で開かれる即売会「立春盆栽大市」について。
- 表千家不審菴「道具の箱書」 — 箱書きが名の通った茶人によって道具の真贋を確かめ、歴史を伝える役割について。