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実生というはじまり

苗床の若い松の実生。割れた種皮がまだ苗のそばに残っている

Photo by Pdreijnders, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons — Source

黒松の種は、爪の先ほどの大きさしかありません。崖から掘り上げたyamadori(山採り, "山から掘り上げた木")の松は、風と岩がすでに刻んだ50年分の幹の景色を背負って工房に届くことがあります。この両極の間にあるのがmisho(実生, "種から育てること")です。幹も枝も、土の中の根さえもない状態から始まる、盆栽の中で唯一の道です。園芸苗の根は、すでに別の生産者の手によって作られています。挿し木は、採ったもとの枝の性質をそのまま受け継ぎます。種には、そうした過去がまだ何もありません。

実生は、発芽したその瞬間から、木の一年一年すべてを盆栽の未来を見据えて仕立てていける、唯一の育て方です。

何も受け継がないから、何も速くならない

種から木を育てることが盆栽の中でもっとも時間のかかる方法だとされるのは、まさにこの点によります。何も前の生から持ち越せないのです。多くの温帯性の樹種の種は、発芽の前に一定期間の低温にさらす必要があります。水に浸したあと、冷涼で湿った状態で1〜2ヶ月ほど保管するのが一般的な方法ですが、秋にその樹種本来の季節のリズムに沿って播けば、この工程を省けるとされています。実生でもっともよく使われる樹種の一つである黒松の種は、播く前に1週間ほど冷蔵するのが一般的で、翌春、1週間から数週間ほどで発芽するとされます。

発芽までは、まだ易しい部分です。実生苗は最初の小さな鉢で丸1年ほど育てたあと、それぞれの鉢に植え替えられ、その後さらに1年ほど待ってから最初の剪定や針金かけに入るのが目安とされています。仕立てを始めるまでに、最低でも3年はかかる計算です。種から一人前の盆栽と呼べる姿になるまで、およそ22年という経過例もよく引き合いに出されます。この22年という数字を、山採りの松が最初から背負っている50年分の先払いと並べてみると、実生という選択がどんな取引なのかが見えてきます。木の経歴を最初から自分で決められる代わりに、働き盛りの年月の大半を差し出すことになるのです。

根だけは、実生にしか一から作れない

実生が他のどの育て方にも勝る点が一つだけあります。それが根です。種は発芽すると、まず一本の直根をまっすぐ下に向かって伸ばします。横に広がるのではなく、下へ向かう根です。これは盆栽が求める姿とは正反対です。盆栽が求めるのは、幹の根元から放射状に広がる浅い表面根、nebari(根張り, "木が土をつかむ表面の根")で、これは木がどれだけ力強く立っているかを見る者に伝える部分です。放っておけば直根は年々優勢になっていくため、多くの生産者は苗のうちにこれを早めに切り戻します。目安は発芽から1〜2年、幹がある程度太くなり回復に耐えられるようになった頃で、木が休眠に向けて養分を蓄え始める時期に合わせて行うことで、切り口を新しく伸びる根への蓄えで治せるようにします。この段階で苗の下に平らな瓦や板を敷き、残った根を下ではなく横に広げるよう仕向ける生産者もいます。こうして根張りの判断材料となる放射状のパターンが作られていきます。

園芸苗や挿し木は、すでに誰かの手によって、あるいは単なる偶然によって、根の形が決まった状態で手元に届きます。あとから直そうとすることはできても、最初から作るほどきれいには仕上がりません。実生の木には、そもそも直すべき過去がありません。根は最初の一太刀から、意図をもって作っていくことができます。根張りを大切にする生産者が、それだけの年月を費やしてでも一部の木を種から育てるのは、こうした理由からです(関連記事: 盆栽の根張りが語る時間)。

早い判断ほど、まだ見ぬ十年に賭けている

これは週末の趣味の時間割で進められる仕事ではありません。種から育てるという選択は、ある程度の経験を積んだ生産者だけが手を出すものだとよく言われます。直根をいつ切るか、どれだけ強く剪定するか、いつ植え替えるか。こうした早い段階での判断の一つひとつが、10年、あるいはそれ以上先になってようやく結果として現れるからです。地植えや大きな養成鉢の中で自由に太らせた幹は、早くから小さな鉢に押し込めた幹より早く育ちますが、そのどちらを選ぶかという判断も、鑑賞に値する木になるずっと前に下される賭けです。3年目の苗を一足飛びに盆栽にする近道はありません。あるのは、まだ木と呼べるものが何もないうちから引かれた、その先の計画だけです。

実生の木を見るときに使える物差しは、この一点に尽きます。今どう見えるかではなく、何も見えるものがなかった頃に、すでにいくつの判断が意図をもって下されていたか、そこを数えることです。

種を播いた本人が、その仕上がりを見ることは少ない

今日、働き盛りの生産者が種を播いた木は、その生産者が現役でいるうちに、展示に値する姿にはおそらく届きません。これは実生という育て方の副産物ではなく、むしろその本質に近いものです。以前の記事「なぜ樹齢が価値になるのか」でも書いた通り、木がすでに生きてきた年月は、どんな費用をかけても、どんな近道をしても作り出すことはできません。実生の木は、その事実を最初の一日から目に見える形にしています。種を播いた人は、直根を切るその最初の一手から、自分では見届けられないかもしれない姿に向けて手を動かしているからです。この意味で実生は、以前の記事「盆栽は完成しない」で書いたことと同じ考え方の上にあります。木の物語は、種を播いた人だけのもので終わるのではなく、次に世話をする誰かが引き継げるように作られています。

実生の木は、Azukariが記録しようとしていることの縮図でもあります。所有するということが、その仕事を始めた本人である必要はなく、それを引き継ぐ人であれば足りる、ということです。種を播いた人と、やがて木の季節ごとの記録を受け取る人は、多くの場合まったく別の二人で、その間には誰にも縮められない年月が横たわっています。木をつなぐのは、その記録のほうです。

参考リンク

  1. Bonsai Empire「種から盆栽を育てる」 — 播種の時期と低温処理、仕立てを始めるまでの最低3年という目安、種から一人前の盆栽になるまでのおよそ22年という経過例。
  2. Bonsai Tonight「黒松を種から育てる方法」 — 黒松の種の低温処理と発芽時期、1年目の苗の管理について。
  3. Growing Bonsai「実生苗での根張りづくり」 — 直根を切り戻す時期と、実生苗から放射状の根張りを作る技法について。
  4. Wikimedia Commons「File: Pinus Pinea seedling.JPG」 — 撮影者Pdreijnders、CC BY-SA 3.0ライセンス。
盆栽実生種からの栽培根張りAzukari