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AZUKARI

弟子入りという時間

黒松を手入れするAzukariの主任作家・佐伯一樹

盆栽の弟子入りは、授業の数ではなく年数で測られます。そこで身につく判断力は、それより小さな単位では引き渡せないからです。

日本の盆栽園に「作家を育てるのにどれくらいかかりますか」と聞くと、カリキュラムの数で答えが返ってくることはまずありません。返ってくるのは年数です。多くは5年、時にはそれ以上、工房の日々の暮らしの中で過ごす年月です。これは答えをはぐらかしているのではありません。ある種の判断力は、教え方を工夫しても短縮できないという、日本の職人文化にいまも根強く残る考え方の表れです。それは、十分に長くその場に居続けた体だけが、ゆっくりと吸収できるものだとされています。

見て覚える文化

日本の多くの職人の系譜では、初心者は「minarai(見習い、文字通り「見て習う」の意)」と呼ばれます。この言葉は、身分だけでなく、その学び方そのものを表しています。盆栽園に新しく入った若者は、作業台からは始めません。庭を掃き、鉢を運び、まだ刃物を入れることを許されていない何列もの木に水をやりながら、先輩の手を見て過ごします。この仕組みには、日本の芸能・工芸全体に通じる正式な呼び名があります。「uchi-deshi(内弟子、「師匠のもとに住み込む弟子」の意)」です。歌舞伎、落語、武道、そして工芸の工房まで、弟子が師匠の家、あるいはその近くに身を置き、日々の営みに付き添いながら仕える住み込みの仕組みを指します。盆栽園も、いまなおこの仕組みに近い形で運営されています。弟子を本当の仕事から遠ざけて守るのではなく、あえてすぐそばに置くのです。十分な時間、見続けることそのものが、一つの教育になるという考え方があるからです。

言葉で教わらない技術

同じ伝統の中には、もう一つ関連する習慣があります。こうした工房の師匠は、初心者が期待するような手順ごとの言葉による説明を、あえて与えないことが多いのです。日本語には、そこで弟子に課される務めを表す言葉があります。「gijutsu wo nusumu(技術を盗む)」です。これは、監督者の口頭の指示によってではなく、観察と失敗の繰り返しを通じて、弟子が自分の力で技術をつかみ取っていく務めを指す言葉です。この言葉の背景にある考え方は明確です。自分の力で引き出した技術は、そのまま与えられた技術よりも確かに身につく、というものです。盆栽園では、これはまさに言葉にしにくい判断の場面に表れます。針金がどのくらいの手応えで、きつく巻きすぎになるのか。鉢の中の根が、目に見える兆候の前に、手に伝わる重みでどれだけの水を欲しがっているのか。師匠はこうしたことを、おおよそにしか言葉で説明できません。何年も同じ動作を繰り返した体だけが、それを直接に知っています。これは以前の記事で取り上げた「shokunin(職人)」――その知識が言葉より先に手に宿る存在――にも通じる考え方です。

型を体に入れるまでの、一年ごとの積み重ね

何年もかけて整えられた、規律ある黒松の直幹樹形

規律ある直幹の姿に仕立てられた黒松。その幹は、ある定まった「型」に従っています。そして、その姿を仕立てた手の修練も、同じように型に従って積み重ねられてきたものです。

年月を縮められない理由も、ここにあります。幹の姿は「型」(kata、「受け継がれた定まった形」の意)に従っています。型については以前の記事で型とは何かとして取り上げ、弟子がその型をどう身につけていくかを支配する三段階の鍛錬、「守破離」(shu-ha-ri、「守る・破る・離れる」の意)についても、関連記事で詳しく扱っています。一度の稽古で、言われた通りに型に従うことは、ほとんどすぐにでもできます。しかし、言われなくても型に従えるようになること――頭で判断し終える前に、正しい一切りに手が伸びること――には、実際の木を相手に同じ動作を何年も繰り返し、それを師匠がそばで見て正していく年月が必要です。日本の正式な盆栽の弟子入りとして最もよく語られる年数は5年ですが、盆栽園や師匠によって異なります。記録に残る例の一つに、藤川一輝氏があります。のちに大阪でフジカワ国際盆栽学校を創立する藤川氏は、大宮盆栽村にある盆栽園・蔓青園で、名匠として知られた加藤三郎氏のもとで5年間、弟子として修行し、その後、自身の実家の盆栽園を継ぎました。日本の他の工芸の世界でも、10年あるいはそれ以上の弟子入りは珍しくありません。ある工芸の名匠は、そこで結ばれる関係を、技術を越えて、仕事に対する哲学を分かち合う関係に近いものだと語っています。

同じ形は、盆栽に限らず日本の暮らしのあちこちで繰り返されています。寿司職人の厨房、漆の工房、家族で営む旅館。それぞれが、似た筋道で修行を組み立てています。仕事の中で最も重要な部分を任されるまでに、年月が与えられるという筋道です。日本の働き方に根強く残る仕組みの一つと言えるでしょう。その道でどれだけの立場を得られるかは、年齢や資格によってではなく、すでに自分の年月を費やした人に見守られながら、自分がその道の中で過ごした年数によって決まります。

その年月が支えているもの

これは盆栽に限った話ではありませんが、他の多くの工芸よりも、盆栽はこの仕組みに強く依存しています。修行の対象そのものが、年月を刻んだ生きた記録だからです。長期の培養を託された木は、盆栽園にとって、10年先もなお手を加える必要がある仕事を、季節ごとに続けていく理由になります。その継続性こそが、盆栽園が若い弟子を、技術が実際に必要とする年月のあいだ、食べさせ、住まわせ、指導し続けることを可能にしています。作業台の弟子の席は、それを埋めるだけの仕事が続く限りでしか、保たれません。

Azukariは、まさにこの継続性を軸に組み立てられています。木は日本で作家の手入れを受けながら育ち続け、その季節ごとの記録は、その手入れが続く限り残されていきます。記録され続ける培養のもとで木が過ごす年月は、静かに、そして実際的なかたちで、木を仕立て続ける若い弟子が修行を終えるまでに必要な年月と、ほぼ重なっています。片方を支えることと、もう片方を支えることを、切り離すのは難しいのです。

職人の年月がどのように形づくられるかについては、「守破離」「型とは何か」、そして盆栽職人という生き方についての記事もあわせてお読みください。

参考リンク

  1. Wikipedia「Uchi-deshi」(英語版) — 歌舞伎、落語、武道、工芸など、日本の芸能・工芸全体に見られる住み込み弟子制度の概要。
  2. Japan Intercultural Consulting「Gijutsu wo Nusumu: Japanese Workers 'Stealing Knowledge' to Get Ahead」 — 明示的な言葉による指導をあえて控え、弟子が観察を通じて技術を「盗み取る」ことを促す、伝統的な指導習慣についての記事。
  3. フジカワ国際盆栽学校「School」 — 大宮の盆栽園・蔓青園にて名匠・加藤三郎氏のもとで5年間修行した藤川一輝氏の経歴紹介。
  4. JAPAN HOUSE Los Angeles「Deshi and the Art of Apprenticeship」 — 竹工芸家・田辺竹雲斎四代目への取材を通じた、日本の工芸における伝統的な「deshi」弟子制度についての記事。
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