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AZUKARI

守破離という考え

きちんとした直幹に仕立てられた黒松の盆栽

ある年の12月、小林國雄氏の著書『盆栽も人も枯れるから面白い』を読んでいて、それまで知らなかった言葉に行き当たった。景道(けいどう)――木そのものではなく、掛軸や卓、添えの草、そして木のまわりに残された余白を通じて、鑑賞を修練に変える道である。翌日、著者が教える東京の盆栽園、春花園に電話をかけた。それ以来、千本を超える木が並ぶその園に、正式な生徒として通っている。

まず型を完全に守る。守り切った者だけが、それを破ることができる。破った者だけが、そこから離れることができる。そしてそのときも、型がどこから来たかを忘れてはならない。

これが「守破離(しゅはり)」である。春花園もまた、この順番のとおりに動いている。生徒たちがその言葉をわざわざ口にすることは少ないとしても。この言葉の由来は、16世紀の茶人・千利休の教えをまとめた「利休道歌(りきゅうどうか)」の一首とされる。「規矩作法 守り尽くして 破るとも 離るるとても 本を忘るな」。型や作法は、まず完全に守り尽くしなさい。それを破ったとしても、そこから離れたとしても、本(もと)、つまり物事の根本を忘れてはならない、という意味である。この考え方は茶道の中にとどまらず、武道や能、書道、そして私がいま学んでいるような仕事場へと広がっていった。特定の分野だけでなく、学びそのものについての真実を言い当てているからだろう。

守とは、まだ判断を許されない服従である

「守(しゅ)」は最初の段階で、かなり厳しいことを求める。一人の師匠から教わった一つの型を、手を加えずに完全に守ることだ。

「守」の段階にいる弟子には、型のどの部分が本質でどの部分がその師匠特有のやり方にすぎないのか、まだ判断がつかない。それでいい。それがこの段階の意味だからだ。型は、一見不要に思える部分も含めて、そのまま繰り返される。弟子にはまだそれを判断する立場がないからだ。同じ動きを、手が指示を必要としなくなるまで繰り返すことによってはじめて、その型がなぜそう作られているのかが見えてくる。なぜ手をこの向きに動かすのか、なぜこの手順がこの順番なのか。早い段階で型に手を加え始める初心者は、時間を節約しているのではなく、その型が何のためにあったのかを永遠に知らないままで終わることを、自ら選んでいるのだ。

破が開くのは守を終えたあとであって、途中ではない

「破(は)」は「守」と並行しては訪れない。「守」を完全にやり遂げたあとに、はじめて開く。一つの型を完全に自分のものにしてはじめて、別の師匠のやり方や、他の流派のやり方と比べることができるようになる。自分の型のどこを改善できるかを試すことができる。ここではじめて、本当の意味での変化が入り込む余地が生まれる。しかしそれは、すでに十分な型を持ち、どこがただの違いではなく本当にうまくいっているのかを見分けられる者にしか与えられない。

これは、守破離という考えにはじめて触れた人が最も誤解しやすい部分だ。「型を守る」と「型を破る」は、並べて選ぶ二つの選択肢ではなく、ひとつづきの順番である。「守」を飛ばした者に「破」は許されない。完全に身につけたことのない型を破ることは革新ではなく、単にその型を学んでいないというだけのことだ。「規矩作法守り尽くして」――型を完全に守り尽くした者だけが、それを破る資格を得る。ここから、独創を名乗る作り手を見分ける簡単な物差しが引き出せる。一人の師匠のもとで修業を終えてから型を変え始めたのか、それとも誰かの型を窮屈に感じた時点で、自分なりのやり方に飛び移っただけなのか。

何十年もかけて仕立てられた、舎利と神が特徴的な真柏の盆栽

何十年もかけて仕立てられた真柏。その幹を走る舎利と神(しゃりとじん、風雪に晒されたように白骨化した幹や枝)は、まずもっと素直で型通りの姿を仕立てる修練を飛ばしては、たどり着けなかったものだ。

離は自由に見えるが、型からしか生まれない

「離(り)」は最後の段階で、「もう何をしてもいい」という意味に最も誤解されやすい段階でもある。

しかし、道歌はそうは言っていない。「離るるとても本を忘るな」――離れたとしても、本、つまり根本を忘れてはならない、と言っている。「離」とは型を捨てる許可ではなく、型を完全に自分のものにした結果、もはや意識して参照する必要がなくなり、手の中で、筆の中で、あるいは枝振りの中で、考えずとも自然に動くようになった状態のことだ。「離」の段階にいる作り手は、自由に即興しているように見えるし、狭い意味ではその通りである。しかしその自由は、何年もかけて守り、その後試してきた型のうえに、まるごと成り立っている。「守」と「破」を取り除いてしまえば、そこに単独で立つ「離」は残らない。残るのは自由の模倣だけであり、もとの型を見応えあるものにしていた構造は失われている。

だからこそ、道歌の最後の一句こそがこの教えの一番大切な部分であり、単なる注釈ではない。守破離は、型から逃れる物語ではなく、あまりによく学ばれた基礎があるからこそ、作り手はその文字面を超えて動きながらも、その精神を決して失わない、という物語である。

どの徒弟修業も同じ順番をたどる

日本の職人の世界は、いまもこの三段階を軸にキャリアを組み立てている。最も分かりやすい形が「弟子入り(でしいり)」――工芸や料理、芸事の世界に伝わる伝統的な徒弟制度だ。

弟子は師匠の仕事場に、時には師匠の家に住み込み、最も基本的な仕事から始める。掃除、道具の手入れ、そして見ること。何年ものあいだ、教えは意図的に少なく与えられる。弟子は言葉で教えられるのではなく、そばにいて繰り返すことによって仕事を吸収することを求められる。これが「守」の最も素朴な形だ。一人の師匠のやり方に、何年ものあいだ全面的に従うこと。まだ異を唱える余地はない。

盆栽の弟子の修業も、まったく同じ形をたどる。何年もの間、一人の師匠の目のもとで、幹の読み方、枝への針金のかけ方、木にどれだけ水が必要かの見極め方を、師匠のやり方通りに学ぶ。まだ自分の判断を差し挟む余地はない。多くの場合、独立を果たしたあとになってはじめて、盆栽作家は他の庭を訪ね、他の作家の仕事を学び、すでに手に染み込んだ型に対して、さまざまな試みをぶつけるようになる。それが「破」だ。そして、木の線に対する感覚が、型に従うものから本能的なものへと変わった作家だけが、「離」に至り、独創的、個性的と呼ばれるような木を仕立てるようになる。それでもなお、その眼がどこから来たのかを尋ねれば、答えは何十年も前の、まだ意見を持つことを許されなかった師匠の仕事場へとたどり着く。

守破離は、一つの技芸が内側に持つ形――型がそもそもどう学ばれるように作られているか、そしてなぜその型は問い直される前にまず守られる価値があるのか――を言い表している。型そのものについては、姉妹記事「型は自由への最短距離」もあわせて読んでほしい。「守」の間に守り、「離」に至ってもなお携え続ける、その鍛えられた形についての記事だ。

三段階を覚えるより、自分がどこにいるかを言うほうが難しい

自分の立ち位置は、はっきり言える。春花園の景道において、私はまだ「守」の中にいる。まだ異を唱える立場にない型を、生徒として習っているところだ。そこにとどまり続けることが、「破」や「離」がいずれ自分に開かれるための道になる。「守」の代わりにではなく、それを終えたあとにしかありえない。

Azukariで作家のもとにある木々も、同じ順番の上に成り立っている。そこにいる作り手たちは、私よりずっと先までこの道を歩んできた人々だ。師匠のもとでの「守」の年月、学んだことを試す「破」の季節、そして一部の作家にとっては、「離」に届いた手。木の記録は、木そのものと同じくらい、その道のりを映し出している。その鍛えられた手が何を仕立てようとしているのか、さらに詳しくは作家の仕事についての記事を、そしてその仕立てがなぜ終わらないのかについての記事もあわせて読んでほしい。

参考リンク

  1. Shuhari — Wikipedia(英語版) — 守破離の千利休「利休道歌」への由来、後に合気道など武道へ広がった経緯、三段階の構造についての解説。
  2. 守破離 — Wikipedia(日本語版) — 「規矩作法 守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな」という原典の一首を引用し、守・破・離それぞれの段階を詳しく説明している。
  3. JAPAN HOUSE Los Angeles「Deshi and the Art of Apprenticeship」 — 竹工芸家・田辺竹雲斎四代への取材を通じ、日本の伝統工芸における弟子入り制度の段階と独立までの道のりを紹介している。
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