
木村正彦氏が大宮盆栽村(埼玉)の藤樹園に入ったのは15歳のときだった。師である濱野元介氏のもとで11年間修業し、その後独立した。小林國雄氏の入り口は違う。28歳のとき、展示会で見た一本の五葉松に進路を変えられ、そこから数十年をかけて一つの技術を絞り込んでいった先に、東京・江戸川区の春花園BONSAI美術館がある。これまでに200名を超える弟子と海外からの研修生を育てた場所だ。二人とも、この年月を「本番の前の下積み」として過ごしたわけではない。年月そのものが仕事であり、盆栽の世界ではその年月が長いことが前提になっている。
盆栽職人は、一つの限られた技術に働く人生のほぼすべてを捧げる。しかも相手にするのは、最初の一鋏を入れた瞬間から、自分より長く生きることが前提になっている生き物だ。
たいていの仕事は、完成した成果で測られる。建てたビル、出版した本、売却した会社。しかし盆栽職人の人生はその物差しでは測れない。仕事の対象である木そのものが完成せず、多くの場合、自分の手を離れたあとも別の誰かに育てられ続けるからだ。この一点が、修業の始まり方から、その長さ、何をもって「成功」とするか、そしていつどう自分の手を離れていくかまで、職人の人生のほとんどを決めている。
盆栽という道に、二度目の選択はない
一度この道に入ると、めったに別の仕事へ持ち替えることはない。盆栽の世界には、いわゆる「キャリアの転身」に相当するものがほとんど存在しない。修業に費やす年月があまりに長く、しかもあまりに手の技に特化しているため、ほかの仕事へ容易には転用できないからだ。Azukariのパートナー作家である佐伯和希氏も、規模は違えど同じ形をたどっている。24歳で盆栽と出会い、それ以来この道を離れていない。日本の工芸では、こうした一点への絞り込みが弱みではなく美徳として扱われる。その理由は以前の記事「日本の職人の哲学」で扱った通りで、盆栽の場合は絞り込みそのものが職人人生の全体になる。
職人の現役期間は数十年、木は数百年を生きる
盆栽に携わる人間の現役期間は、弟子入りから引退まで、長くてもせいぜい60年か70年である。だが手入れを受けている木の寿命は、それをはるかに超えることがある。以前の記事「なぜ盆栽が何百年も生きるのか」で触れたが、さいたま市大宮盆栽美術館が所蔵する五葉松は推定樹齢450年と伝わる。この非対称性は、口に出されるかどうかにかかわらず、すべての盆栽職人の日々の仕事の下敷きになっている。一人の職人が立ち会えるのは、木の生涯のうちほんの一区間にすぎない。いま手を入れているその木は、自分が生まれたときすでに老木だった可能性が高く、自分がいなくなったあとも育ち続ける可能性が高い。この世界ではこの事実を悲劇として扱わない。むしろ仕事の前提そのものに近い。以前の記事「盆栽の銘木」で書いた通り、「銘木」が一人ではなく何人もの手による仕事だと言われるのはこの理由からだ。職人が早い段階で身につけるのは、自分の仕事をそれ単体の成果としてではなく、もっと大きな何かの中の一区間として測る感覚である。
今年伸ばす枝は、自分が見届けられない姿のために整える
この非対称性は、盆栽職人が木の将来をどう設計するかにも表れる。今年伸ばした一本の枝、いま決めた幹の流れは、何十年も先――時には自分の現役期間を超えた先――にしか見えてこない姿のために整えられている。
戦後ロサンゼルスに移り住み、アメリカに盆栽を広めた第一人者とされるジョン・ナカ氏は、代表作をまさにこの発想で作った。「護心(ごしん、"魂を護る"の意)」と名づけられた、真柏系の栽培品種フェミナジュニパー11本による寄せ植えは、11人いた孫それぞれに一本ずつを見立てたもので、一人の育成者が手を離れたあとも一つの作品として育ち続けることを前提に構想された。寄せ植えという形式そのものが、その前提を必要とする。この作品は現在も、ナカ氏の没後2004年にその名を冠されたパビリオンで、米国立樹木園の国立盆栽・盆景博物館に常設展示されている。この木は最初から「自分だけのもの」として作られてはいない。まだ自分のものではない、これから続く手のために作られていた。
弟子が受け継ぐのは技術だけでなく木そのもの
盆栽の弟子入りが多くの工芸の修業と違う点はここにある。弟子(でし)は技術だけを受け継ぐのではない。多くの場合、すでに何十年分もの他人の判断が途中まで積み重なった木そのものを受け継ぎ、その判断を正しく読み取りながら続けていくことを求められる。
愛知園(名古屋の盆栽園)は、この継承の形をたどりやすい例だ。1896年、17歳で実家の農家を出た田中鋤次郎氏が創業し、戦時中の空襲で自宅は焼失したものの園自体は焼け残った。以来、田中幸四郎氏、田中清光氏を経て、現在は四代目の田中淳一郎氏が受け継いでいる。田中淳一郎氏のもとには日本国外からの弟子も学びに来ており、アメリカ出身のアーロン・ヒューズ氏は、トヨタ自動車北米法人の助成を受けた枠組みの一部として、5年間そこで住み込みの修業を積んだ。近年愛知園で修業を経た海外出身の弟子の一人である。木村正彦氏のもとで学んだマルコ・インヴェルニッツィ氏やサルヴァトーレ・リポラーチェ氏、ライアン・ニール氏といった弟子たちも、木村氏ならではの真柏の読み方を、日本の外にある園や顧客のもとへ持ち帰った。いずれの場合も、受け渡されているのは「枝への針金のかけ方」や「芽を摘むタイミング」だけではない。特定の木の姿に刻まれた、ある師の判断の具体的な記録そのものであり、次の手はそれを正しく読み取り、引き継いでいく責任を負う。
測るべきは、次の手が正しく読み取れるかどうか
木村氏の11年の修業も、ナカ氏が孫の数だけ木を立てた寄せ植えも、愛知園の四代にわたる継承も、どれも普通の意味での「完成」では終わっていない。盆栽という仕事に、そもそもそういう終着点は用意されていないからだ。代わりにこの仕事が職人に与えるのは、何を仕上げたかではなく、次の手が積み重ねられた判断をどれだけ正しく読み取れたかで一つの人生を測るという物差しである。
Azukariは、この受け渡しの外側に立っているのではなく、その内側にある。パートナー作家たちが手入れする木は、ここで書いてきた働き方――一つの技術を何十年もかけて深め、自分では始めていない判断の連なりの上に立ち、自分でも完結させない――をそのまま生きている。Azukariによって変わるのは、その時間軸にオーナーとして加われる人が誰かということ、そして、いま終えたばかりの一つの季節――誰か別の人生の長い修業の中のほんの一区間――がどう記録され、次へ渡されるかということだ。
参考リンク
- Bonsai Empire「木村正彦」 — 木村正彦氏が15歳で師・濱野元介氏に弟子入りし、1966年ごろまでの11年間、藤樹園で修業した経歴について。
- 愛知園「歴史」 — 1896年に田中鋤次郎氏が創業した愛知園の歴史と、現当主・田中淳一郎氏に至る四代の継承について。
- National Bonsai Foundation「National Bonsai Apprenticeship」 — アーロン・ヒューズ氏が愛知園の四代目・田中淳一郎氏のもとで積んだ5年間の弟子修業について。
- Wikipedia「John Naka」 — ジョン・ナカ氏の経歴と、現在米国立樹木園の国立盆栽・盆景博物館に展示されている代表作「護心」について。
- さいたま市大宮盆栽美術館「大宮盆栽村について」 — 関東大震災後の1925年に成立した大宮盆栽村の歴史と、最盛期の1930年ごろ約30軒あった園が現在6軒に減っていることについて。
- Wikipedia「Kunio Kobayashi」 — 小林國雄氏が28歳で盆栽を始めた経緯と、春花園BONSAI美術館でこれまでに育てた200名を超える弟子・海外研修生について。