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AZUKARI

樹齢百年の木を預ける文化

伝統的な日本家屋で黒松の盆栽を手入れする盆栽作家・佐伯一樹

黒松の盆栽を手入れする盆栽作家・佐伯一樹。日本では、こうした日々の世話は、所有とは別の仕事として長く扱われてきました。木の持ち主が自ら担う必要はないのです。

樹齢百年の盆栽を、たった一人で、一つのベランダで、一つの人生の中だけで育て上げた人はいません。それでも一本を持つことができるのは、木の世話を二つの仕事に分け、それぞれを別の人が担ってきたという、日本の古い習慣があるからです。

盆栽の持ち主と、水をやり、針金をかけ、数年ごとに植え替える人は、これまで同一人物である必要がありませんでした。日本はこの分業を、一つの言葉に込めてきました。それがazukari(預かり、頼まれた物を引き受け、責任を持って保管し世話をすること)です。会社の名前としてこの言葉が使われるよりも、ずっと前からある考え方です。

「持つ」ことと「世話をする」ことは別の仕事

日常の日本語で「預かる」は、単に「持っている」よりも具体的な意味を持ちます。辞書では、頼まれて人や物を引き受け、その保管や世話を依頼者に代わって行うことと説明されます。コインロッカー、貸金庫、旅行中に庭の水やりを頼む隣人。すべて同じ動詞でくくられます。この言葉が使われるとき、いつも前提になっているのは、預かっている人と、その物事について最終的な決定権を持つ人は別だという点です。

日本の博物館には、この分業の正式な形があります。寺院や神社、個人の所蔵者が、所有権を手放すことなく文化財を博物館に保管・公開してもらいたいとき、用いられる仕組みが「寄託」(きたく)です。九州国立博物館は、これを次のように説明しています。「文化財の所有権を所蔵者に留めたまま、博物館で保管・展示等を行うこと」。所有権を無償で博物館に移す「寄贈」(きぞう)とは、はっきり区別されています。奈良国立博物館では、20世紀初頭からこうした寄託が行われてきました。1903年(明治36年)の奈良県下国宝展をきっかけに社寺からの寄託が盛んになり、その後の年月で興福寺も、著名な阿修羅像を含む「八部衆」(はちぶしゅう、8体の守護神像の一群)像などを、所有権は寺に残したまま同館に寄託しています。第二次世界大戦後、各地の寺院が自前の鉄筋コンクリート製の宝物館を建てるようになると、寄託されていた仏像の多くは元の寺へ返還されました。「寄託」が所有権の移転では決してなく、あくまで「誰が世話をするか」についての取り決めに過ぎなかったことの証です。

盆栽の世界では、同じ論理がずっと日常的な規模で、絶え間なく働いています。仏像と違い、木は倉庫にただ置いておくことができないからです。愛知県の盆栽園・大樹園は、創業90年を数える専門店ですが、その預かりサービスについてこう説明しています。持ち主から預かった黒松について、預かり期間中はプロが責任を持って管理する。芽切り、剪定、施肥、病害虫対策など、一年を通じた作業のすべてを、技術を持つ人の手で、他人の持ち物である木に対して行うということです。日本政府観光局(JNTO)も、持ち主の側からこの実情を伝えています。盆栽は夏場一日に二、三回の水やりと、四、五年ごとの植え替えが必要で、こうした要求に、日本人の愛好家でさえ苦労しているとある職業的な育成者は語っています。旅行中だけ木を預けに来る人もいれば、そのまま園に置きっぱなしにする人もいるといいます。

実際に手渡されるものは何か

もし、預けられた盆栽をそのまま放っておけるのであれば、ここまでの話はさほど重要ではなかったでしょう。しかし、それはできません。ここが、コインロッカーや博物館の寄託収蔵庫との違いです。そこでは物は取り出されるまで、ほとんど変わらないまま待っています。しかし世話をされない木は、待ってはくれません。おかしな方向に伸び、乾き、あるいは枯れてしまいます。

つまり、実際に他人の手に渡されているのは、静止した物ではなく、絶えず前に進み続けなければならない時間そのものです。一回の水やり、一回の剪定が積み重なって初めて、預かった物が「返せる状態」であり続けます。以前、「持ち込み」について書きました。これは、木が単に生きていた年数ではなく、鉢の中で実際に手を加えられ続けた年数を数える言葉です。持ち込みが積み重なるのは、誰かが絶え間なく、その積み重ねを生む作業を続けているからに他なりません。木を預ける持ち主は、引き出しにしまっておける家宝を手渡しているのではありません。ある特定の、続いていくべき作業を止めないという、日々の責任を手渡しているのです。

持ち主が変わっても、木は気づかない

世話をする仕事と所有権が、そもそも別のものとして分けられているからこそ、片方だけを動かしても、もう片方は乱れません。木の持ち主は、売買や贈与、相続によって変わることがあります。それでも、日々の作業を担う人がその作業を続ける限り、木は世話を一日たりとも欠かすことなく生き続けます。これは、奈良国立博物館の寄託とはほとんど逆の構図です。あちらでは、寺院が自前の収蔵庫を持ったことで預けていた「八部衆」像を引き取る、つまり預け先が変わることこそが、記録に残る出来事でした。盆栽の場合、持ち主が変わることは、本来なら何も起きていないに等しいはずのことです。世話が途切れないことこそが、すべてなのです。

日本には、こうした一つひとつの関係よりも長く残る記録の仕組みまで存在します。日本盆栽協会は1980年以来、kicho bonsai(貴重盆栽)と呼ばれる正式な登録制度を運営しています。これまでに1,200点を超える盆栽が、その樹形や経歴、希少性によって審査・登録され、それぞれ登録された瞬間の写真とともに記録されています。この登録簿に載る木は、いまの持ち主のものであると同時に、いまの持ち主だけのものではありません。それは、今年であろうと五十年後であろうと、その時々に木を預かる人が、木を照らし合わせるための一つの固定点にすぎないのです。

Azukariという名前の由来になった仕組み

これこそが、Azukariという会社名の由来になった仕組みです。単なる比喩ではなく、実際に機能している取り決めとして。木は日本の同じ土の上にとどまり、持ち主が日本にいるかどうかにかかわらず、これほど手のかかる木が実際に必要とする日々の水やり、針金かけ、植え替えを、作家が担い続けます。持ち主は木の所有権を持ち、その続いていく物語の一区間に加わります。それは、博物館に寄託する所蔵者や、大樹園に木を預ける客が置かれている立場と同じです。毎朝、鉢の前に立つ必要はなくても、その取り決めの中に確かに存在しているのです。持ち主に手渡されるのは、完成した静止した物ではありません。自分が加わる前からすでに動いていて、去った後も動き続けるように作られた、一つの過程の中の居場所です。

結び

所有と日々の世話を分けることは、旅の多い人が自分で水やりできない問題を解決するために日本が編み出した便法、というだけのものではありません。むしろ、生きている木が本当に必要としているものについての、古くて実直な理解に近いものです。一人がすべてを一人で抱え込むのではなく、「決める人」と「世話をする人」という二つの役割を、木が育ち続ける限り、別々の人が同時に担うことができる。その取り決めの、決める側に立つとはどういうことかについては、こちらでより詳しく書いています。

参考リンク

  1. 九州国立博物館「寄附、寄託・寄贈のお願い」 — 所有権が所蔵者に残る「寄託」と、所有権が移転する「寄贈」を区別する公式説明。
  2. Wikipedia「奈良国立博物館」 — 1903年の奈良県下国宝展を契機に社寺からの寄託が盛んになったこと、興福寺の八部衆像なども寄託の対象となったこと、第二次大戦後に多くが寺へ返還されたことについて。
  3. 大樹園「高級黒松盆栽の手入れと預かりサービスを創業90年のプロが解説」 — 同園の黒松盆栽の預かり・育成サービスについて。
  4. 日本政府観光局(JNTO)「Bonsai Is Big in Japan」 — 盆栽の日々の水やり・植え替えの負担と、木を園に預けたままにする持ち主について。
  5. 日本盆栽協会「協会概要」 — 1980年以来運営されている「貴重盆栽」登録制度と、これまでに1,200点を超える盆栽が登録されていることについて。
盆栽預かり所有と管理日本文化Azukari