
さいたま市の大宮盆栽村にある六つの園のひとつ、芙蓉園(ふようえん)。棚はそのまま園主の自宅へと続いており、レジも会計カウンターもなく、庭と住まいの境目もはっきりしません。Photo by TypeZero, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons — Source
初めて日本の盆栽園を訪れる人は、たいてい買い物客の感覚でやって来ます。棚を歩き、値札を読み、決めて、支払い、木を持ち帰る。ところが、その感覚を満たすようにはできていないのが、盆栽園という場所です。
外国人が日本のbonsai-en(盆栽園、bonsai nursery)を訪れて驚くことの多くは、木そのものではありません。お店にあって当然のものが何もない、という驚きです。鉢に値札はなく、売り物とそうでないものの境目もはっきりせず、木を持って門を出た時点で終わるような取引でもないのです。
一つの棚に、二種類の木
普通の盆栽園で棚(tanaba、棚場、"木を並べて育てる場所")を歩いても、どの木が園のもので、どの木がどこか別の場所にいる持ち主のものなのか、見た目では区別がつきません。針金かけのために持ち込まれた松のすぐ隣に、園が挿し木から育てて販売するつもりの松が並んでいます。どちらも同じ間隔で水をやられ、同じ手によって同じように手入れされています。
この混在は、単にスペースの都合ではありません。むしろ、盆栽園という場所が実際に何をしているかを、そのまま表しています。大宮盆栽村(さいたま市)の六つの園の一つである清香園は、剪定・針金かけ・植え替えといった、客が所有する木の日常的な手入れを、一か月までの短期預かりとあわせて案内しています。料金は誰でも見られる形で掲示されているのではなく、規定の料金表に照らして個別に見積もられます。「売り物」の札を探しながら棚を眺める訪問者は、園自身がひと目では線引きしていない区別を探していることになります。この預かりの仕組みが実際にどう動いているかは、別記事「盆栽園という場所」で詳しく扱っています。短くまとめれば、日本の盆栽園の棚は、外から見て想像する以上に、他人の進行中のプロジェクトで埋まっているということです。
値札のない世界
二つ目の驚きは、一つ目から自然に生まれます。ひと目でどの木が売り物か分からない園が、ひと目でその値段を教えてくれるはずもありません。大阪近郊の名園として知られる藤川光華園は、海外の買い手からの問い合わせを、価格の載ったカタログではなくメールやInstagramで受け付けています。値段は、園が実際にその木を見た後、少なくとも状態のよく分かる写真を確認した後にようやく決まります。清香園が自らの手入れの顧客に対して行っていることも同じで、日本盆栽協同組合の料金表に照らした個別の見積もりであり、事前に誰でも調べられる数字ではありません。
これは販売戦略ではありません。むしろ、こういうことに近いのです。大きさや樹種がよく似た二本の盆栽でも、樹齢や姿、そしてどれだけ手入れの記録が確かめられるかによって、値段は大きく変わり得ます。この仕組みについては「盆栽の値段はどう決まるのか」で直接取り上げています。決まった小売価格に慣れた訪問者にとって、それが「ない」ことは奇妙に映るかもしれません。けれど園の内側から見れば、生きていて一本一本違う物に値段をつけるとは、昔からそういうものなのです。
値札の代わりにあるのは関係
値札の代わりにあるものを一言で言えば、関係です。大宮盆栽村を訪れる海外旅行者向けの案内には、住宅街の路地では声を落とすこと、木に触れる前に必ず断ること、個人の庭で写真を撮る前にも断ること、といった心得が並んでいます。ここは商いの場である以上に、誰かの暮らしの場でもあるからです。園主への丁寧な挨拶は、木を見るための前置きではありません。外部からの訪問を受け入れている園にとって、それはやがて購入へとつながる会話そのものの始まりであることが少なくありません。
その会話は、二度目、三度目と重ねるほど意味を持つようになります。大宮の六園のひとつ、東樹園は、1966年から一般の見学者向けに盆栽教室を開いてきました。一度きりの売り込みではなく、また来てほしい、学び続けてほしいという継続的な招きです。園が本当に良い木を誰に譲るかを決めるときも、頼ってきたのは結局、頼んでいる相手をどれだけ知っているかでした。木を見る目と、客を見る目は、日本の盆栽園において、実はそれほど別のものではないのです。
買って終わる場所ではない
三つの驚きを並べると、この場所の形が見えてきます。日本の盆栽園が在庫と預かり物を同じ棚に置いているのは、機能としてはどちらも同じことをしているからです。誰が所有していようと、木を生かし、訓練された目で育て続けること。値段を個別につけるのは、同じ木は二本とない以上、事前に固定された数字がこの文化の前提そのものを平らにならしてしまうからです。そして関係を軸に動いているのは、園が本当に差し出しているもの――その目、長年かけて培われた判断、木が持ち主を変えたあとも見守り続ける姿勢――が、レジの前で受け渡せるようなものではないからです。
大宮のような園を一度きりの旅行で訪ねただけの人にとって、それは決して開ききらない扉のように感じられるかもしれません。けれど、それは盆栽園がずっと、また来てくれる人のために開けてきた扉と同じものです。Azukariが作ろうとしているのも、その扉を、離れた場所からでも開けたままにしておく仕組みです。木は棚の上、すでにその木を知っている手のもとに残り、持ち主は一枚の領収書と一度の来園の記憶だけでなく、季節ごとの記録を通じて、その関係の一部であり続けます。
参考リンク
- 藤川光華園(Fujikawa Kouka-en)— Overseas Buyers — 海外の買い手からの問い合わせ方法(カタログ掲載の価格ではなくメールとInstagram)、購入後の月額メンテナンス契約についての説明。
- 清香園(Seikou-en)— 盆栽メンテナンス — 客が所有する盆栽への日常的な手入れ(剪定・針金かけ・植え替え)と一か月までの短期預かり。料金は公開されておらず、日本盆栽協同組合の料金表に照らして個別に見積もられる。
- Bonsai Empire「Japanese gardens and Bonsai in Japan」 — 香川県鬼無(きなし)地区の約250年の栽培の歴史、国内松市場に占める割合、約100園のうち高級とされる園が十数園であること。
- Wazakura Japan「Omiya Bonsai Village: A Wazakura Japan Travel Guide」 — 大宮盆栽村を訪れる際のマナー(声を落とす、木に触れる前に断る、個人の庭での撮影前に断る、など)。
- 大宮盆栽村(Omiya Bonsai Village)— Gardens — 村内六園の紹介と、東樹園が1966年から一般向けに盆栽教室を開いていること。
- Wikimedia Commons — File: OmiyaBonsai 芙蓉園 Fuyo-en Hiroshi Takeyama 001.jpg — ヘッダー画像の出典とライセンス(CC BY-SA 4.0、撮影 TypeZero)。