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AZUKARI

盆栽の記録という財産

1625年から仕立てが続く五葉松「ヒロシマ・サバイバー」。ワシントンD.C.の国立盆栽・盆景博物館で展示されている

写真: Sage Ross, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons — 出典。1625年から仕立てが続くこの五葉松は、自らが何を生き延びたのかを博物館に知られないまま、25年間ワシントンに立ち続けていました。

アメリカ国立樹木園は四半世紀のあいだ、北米で最も樹齢を重ねた盆栽の一本を管理しながら、その木が何を経験してきたのか知らずにいました。1976年に木が贈られた際に記された記録には、寄贈者の名前と日付しか書かれていませんでした。

盆栽の手入れの記録は、他人にその価値を証明するために書くものではありません。次にその木を任される人——たいていは、書いた本人が一度も会うことのない相手——のために書くものです。

記録には何が書かれるのか

神秘性を取り除けば、盆栽の手入れの記録は、きわめて実務的な文書です。植え替えは「最近」ではなく、季節と年で記されます。どの根を切り、どの根を残したか。針金をいつかけ、そして——同じくらい大切なことですが——いつ外したか。かけたままの針金は、その判断そのものより長く残る傷を幹に刻んでしまうため、この一行は見た目以上に重みを持ちます。厳しい冬や乾いた夏、あるいは新しい作家のもとへ移った際に木がどう応えたかという記録。展示に出た年と、あえて人目から離して回復させた年。

これらは演出のために書かれるのではありません。来シーズンその木に必要なことは、前のシーズンに何をしたかに左右され、その判断を下す人は、前回判断した人とは別であることがほとんどだからです。良い記録は、新しく任された人が見ただけではわからないことに答えてくれます。木がいま何に見えるかだけでなく、すでに何を試し、なぜそうしたのかを。

誰が、誰のために記すのか

日本には、これを行う正式な仕組みが複数あります。国風盆栽展、日本で最も権威ある盆栽展の図録は、1934年から毎年、その年に出品された木を写真とともに記録してきました。木を仕立てた作家と所有者は別人であることが多いため、記載は所有者の名前で行われます。約90冊が、九十年にわたる展示を通じて、一本一本の木の変遷をたどっています。日本盆栽協会は別に、1980年からkicho bonsai(貴重盆栽)の登録制度を運営しており、これまでに1,200本以上が登録されました。目的は「貴重な盆栽を後世に伝えていくこと」だと同協会は説明しています。この制度については「盆栽の価値は記録にある」でより詳しく紹介しました。この発想は、銘木にその名前と経歴が刻まれ続けるのと同じ本能から生まれています。

どちらの仕組みも、買い手や審査員、歴史家といった外部の判断者に対して、木の格を読み取れる形にするためのものです。それは実際に役立ちます。けれど、作家が何かを書き残す理由はそれだけではなく、むしろこちらのほうが古い動機かもしれません。武道や茶道、華道など、日本の伝統芸道の多くでは、師匠が弟子にmokuroku(目録)を渡します。目録は外部に誇示するために書かれるのではありません。次にその系譜を継ぐ人が、何が、誰から、どの順番で伝えられたかを正確に把握できるようにするために存在します。盆栽の手入れの記録も、同じ役割を果たしています。価値を証明する証書というより、顔の見えない読み手に宛てた実務的な手紙に近いものです。

危うく失われかけた記録

その手紙が書かれなかった場合に何が失われるか。それを最も鮮やかに示すのが、1625年から仕立てが続く一本の五葉松です。

この木を育てていた盆栽の名人・山木勝(やまき まさる)氏は、1945年8月6日、爆心地からおよそ3キロメートルの広島の自宅にいました。原子爆弾が投下されたその瞬間を、氏と家族、そして木を守っていた塀に囲まれた庭は生き延びました。1976年、日本盆栽協会がアメリカ建国200周年を記念してアメリカに贈った53鉢の盆栽の一つとして、すでに山木家五代にわたって受け継がれてきたこの松を、山木氏は寄贈しました。贈り先は、現在のアメリカ国立盆栽・盆景博物館(ワシントンD.C.)です。

その後25年間、博物館自身の記録には、広島のことは何も記されていませんでした。転機は2001年3月、山木氏の孫二人が予告なく博物館を訪れたことです。二人は、子供の頃からずっと聞かされてきたその木を探しに来たのでした。通訳を介して二人が語ったのは、博物館の記録には存在しなかった事実——この松が原爆を生き延びたこと、祖父がその物語を家族の中で世代を超えて伝えてきたこと、そしてそれを裏付ける写真や記録は息子が保管していたこと——でした。この訪問がなければ、家族が語ることを選ばなければ、この松の最も重要な一章は、少なくとも制度の上では存在しないままだったでしょう。

木は、自らの経歴を、他人が読み取れる形で持ち歩くことはできません。樹皮や舎利、仕立てられた枝の線は、注意深く見る人に「時間が経過し、誰かの手が加わった」ことを語ります。その物的証拠が語れることと語れないことについては、別の記事でも書きました。けれど、それらは都市の名前も、家族の名前も、選択の理由も語りません。それを語れるのは、話すか書くかする人間だけです。四半世紀のあいだ、その情報は一つの家族の記憶の中にしか存在せず、多くの口伝えの歴史がいずれ迎える消失まで、あと一歩の距離にありました。

Azukariが記録を書き続ける理由

これこそが、文字にされた記録が埋めるべき隙間であり、Azukariが「書くこと」を、季節の仕事が終わったあとに片づける事務作業ではなく、手入れそのものの一部として扱う理由です。日本で木が手入れされるたびに、その季節の作業は、何を、誰の手で、なぜ行ったかを記した日付入りの記録として残されます。それは、誰かがたまたま訪ねてきて、たまたま説明してくれるという偶然に頼る記憶になってしまう前に、書き留められるものです。次にその木を任される人は、京都にいても、記録を書いた作家が生涯訪れることのない場所にいても、木とともにその記録を受け継ぎます。

これは、水やり、日照、季節ごとの辛抱という、盆栽が昔から求めてきた日々の鍛錬——同じteire(手入れ)——を変えるものではありません。変わるのは、その鍛錬をした人がいなくなったあとに、何が残るかです。この形で残された記録は証書ではありません。むしろ、いま書かれ、それを書いた本人にもう尋ねられなくなったときに木を手にしている誰かへ宛てた、手紙に近いものです。

参考リンク

  1. National Bonsai Foundation「Yamaki Pine」 — 1625年に始まる木の経歴、山木家五代にわたる継承、1976年の建国200周年記念寄贈、そして2001年3月に山木勝氏の孫たちが広島での被爆を明かした経緯について。
  2. Smithsonian Magazine「The Bonsai Tree That Survived the Bombing of Hiroshima」 — 木が25年間博物館に置かれながら、2001年の訪問まで経歴が「ほとんど知られていなかった」ことについて。
  3. Bonsai Empire「Kokufu-ten Exhibition, Tokyo」 — 1934年から毎年発行されている国風盆栽展の図録が、出品木を所有者名で記録してきたことについて。
  4. 日本盆栽協会「協会概要」 — 1980年から続く貴重盆栽登録制度と、これまでに1,200本以上が登録され、貴重な盆栽を後世に伝えることを目的としている点について。
  5. Wikipedia「Menkyo」 — 日本の伝統芸道における免許制度と、師匠から弟子へ正式に伝えられた内容を記す目録という文書について。
盆栽経歴記録ヒロシマ・サバイバーAzukari