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盆栽と経済の両立

手入れ道具を並べ、盆栽に向き合う職人

盆栽をめぐる問いは、木そのものだけの話ではありません。木を仕立てる仕事に人生を費やす人たちがいて、その文化や技術の下には、もっと素朴な問いが横たわっています。この仕事は、実際に生活を支えられるのか、という問いです。さいたま市の一角にある大宮盆栽村は、その問いに百年間、必ずしもうまくとは言えない形で答え続けてきた場所です。

盆栽は何百年もの日本の歴史を生き延びてきましたが、一つの技術が生き延びられるのは、それを担う人が生計を立てられる間だけです。この百年、盆栽はそれを当たり前には保証されてきませんでした。

三十五園から六園に減った村

大宮盆栽村は、今も「盆栽」という地名を町名に残しています。始まりは1925年4月、関東大震災(1923年)で被災した東京の盆栽業者の一人だった清水利太郎氏が、この地に最初に居を構えたことでした。同じく被災した東京の業者たちが後に続き、良質な土、澄んだ地下水、氷川神社や大宮公園に近い広い土地に惹かれて移り住みました。1928年には約20名の住民が組合を結成し、ここに住む条件として、盆栽を10鉢以上持つこと、門戸を開放すること、二階建てを建てないこと、垣は生け垣とすることという短い規約を定めました。

戦前の最盛期、村には35の盆栽園がありました。しかし2024年の埼玉りそな産業経済振興財団のレポートによれば、現在は6園にまで減っています。同レポートは、その理由を複数の要因が重なった結果だとしています。盆栽業全体の衰退、人々の暮らし方の変化、園主の高齢化、後継者不足、そして近年は、何代にもわたって一つの家が持ち続けてきた土地にかかる地価の上昇や相続税の負担です。どの要因も、誰かが盆栽を愛さなくなったから起きたわけではありません。残る6つの園は、今も世界中から見学者を集めています。守るのが難しかったのは、その愛情の下にある商売そのもの、つまり一つの家がおおむね担い、何年もかけて次の世代に引き継げるだけの収入を生み出す仕組みでした。

商売が技術を押しのけるとき

同じレポートは、静かに進むもう一つの問題も指摘しています。今も開いている園でも見られる問題です。経営を保つため、多くの園は、ある程度仕立てられた木を仕入れてすぐに売る、いわば買い付け的な仕事に時間を割くようになり、素材から木を育て仕立てるという、より時間のかかる仕事に割く時間が失われています。両方をこなす時間が一日の中にないからです。この変化によって店を開け続けることはできても、この村が本来立脚してきた仕事そのものとは、少し違うものになっています。職人とは、他の園より早く在庫を動かすことではなく、仕事そのものによって生計を立てる存在です。経営上、前者が後者より報われるようになれば、根本の技術は発揮される場を失い、何年もかけてそれを学ぶ理由も失われていきます。

さいたま市の対応は、その技術がまだ生きている場所、つまり若い担い手たちから始まっています。2022年後半から、市は若手盆栽師を対象にした勉強会を続けています。参加者の将来像は、独立して園を開く人、既存の園を継ぐ人、素材から盆栽を創作する作家を目指す人などさまざまです。同財団が伝える参加者自身の言葉によれば、その願いはとても率直です。園が閉じて良い盆栽が散り散りになるのは避けたい、大宮盆栽村がなくなってしまう状況は望ましくない、というものです。彼らに足りないのは意欲ではありません。普通の仕事を選ぶ代わりにこの道を選べるだけの、確実な生計の形です。

海外の需要が変え始めていること

この数年で変わり始めているのは、日本国外からの需要です。2025年8月更新のジェトロの輸出品目別レポートによれば、日本の盆栽輸出額は2021年の約4億9,300万円から2023年には約9億1,700万円へと伸び、2024年には約9億600万円とやや落ち着きました。2023年の輸出先で最も金額が大きかったのは中国で約2億300万円、前年の2倍以上に伸びています。次いでイタリアが約1億8,900万円、オランダが約1億8,400万円で、前年比68.5%増となりました。政府が公表している最も詳細な樹種別の内訳(2015年調査)によれば、黒松は数量・金額ともに輸出全体のおよそ4割を占めてきたとされ、埼玉県と香川県の2県で全体の9割以上を供給しています。制度面の変化も市場を後押ししました。EUは、松を枯らす害虫への懸念から輸入を禁止していた黒松について、2020年に禁止を解除し、2年間の栽培管理と検疫を経て、2023年から本格的な輸出が始まっています。

ただ、この伸びが埼玉の園に実際に届くのは、届いた先で買い手がそれを何であるかをある程度理解している場合に限られます。ジェトロの調査は、フランスで「インドア盆栽」と呼ばれる室内向けの盆栽が広がっている様子を伝えています。多くは中国産やインドネシア産の安価な輸入品で、一般の買い手は観葉植物のように扱っていますが、一方で「盆栽は日本産でなければならない」と考える一部の蒐集家もいます。どちらも、形式上は「盆栽の買い手」です。しかし日本の園の経営を支える取引に実際に参加しているのは、後者だけです。職人が何年もかけて注いできた手間と、名もない一鉢の観葉植物との違いを正確に伝えることは、技術に添えた飾りではありません。海外の需要が、実際に木を育てている人々のもとまで届くかどうかを左右する、ほぼすべてだと言えます。

低い座卓に道具を並べ、盆栽に手を入れる職人たち

技術を次の世代に引き継ぐということは、生計もまた一緒に引き継ぐということです。

仕組みをつくるという挑戦

これらの問題は、一つの取り組みだけで解決するものではなく、さいたま市もそう装ってはいません。2025年の開村100周年に向けて、市は2024年5月から7月にかけて、目標額1,000万円のクラウドファンディングを実施しました。使い道は二つ、若手盆栽師が大宮盆栽の歴史をより広く伝えるための活動と、市内で生まれた子どもたち一人ひとりにミニ盆栽を贈る事業です。誰かにその意味を説明される前から、次の世代の家に一鉢の盆栽がある状態をつくろうという試みです。

Azukariも、規模は違いますが、同じ問題の上に成り立っています。木は日本で作家の手入れを受け続けたまま留まり、離れた場所にいる持ち主は、木を移動させたり作家の仕事を止めさせたりする代わりに、季節ごとの記録を通じてその手入れの一区間に加わります。この仕組み自体が、閉園した29の園を再び開けたり、徒弟制度を作り直したりするわけではありません。できるのは、日本で育ち作家の手が入った木が何であるかを理解するようになった人々と、その木を仕立てる人たちが仕事を続けていくための地道な費用とを、つなぐことです。これほど古い技術は、憧れだけで次の世代に引き継がれてきたわけではありません。あと百年、誰かがこの仕事を続けていられるだけの生業が、そこに残っている必要があります。

関連記事として、手を起点にしたこの種の職人気質について書いた「職人」、日本の老舗企業がなぜ続いてきたかを扱った「日本に老舗が世界一多い理由」、そしてこの仕事を誰が引き継ぐのかを扱う「後継者問題という課題」もあわせてお読みください。

参考リンク

  1. ジェトロ「輸出品目別レポート 花き(植木・盆栽)」(2025年8月更新) — 盆栽・植木の年別・輸出先別の輸出額、樹種別内訳、EUの規制の推移。
  2. 大宮盆栽「HISTORY」 — 1925年の開村の経緯、関東大震災との関係、開村時の居住規約。
  3. 公益財団法人埼玉りそな産業経済振興財団「大宮盆栽 次の100年に向けて」(埼玉りそな経済情報 2024年12月号) — 盆栽園が35園から6園に減少した経緯とその要因、若手盆栽師勉強会の取り組み。
  4. さいたま市「大宮盆栽村を次の世代に繋げたい!クラウドファンディング開始」発表(2024年4月25日発表) — 2024年のクラウドファンディングの目標額と使途。
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