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明治神宮の盆栽水石展と、人の手で植えた森

東京のど真ん中にある神社で、盆栽の展示が開かれています。「明治神宮盆栽水石展」です。先日その会場を歩いてきました。見てきたものを順番にお話しします。この場所のほとんどが、Azukariの考え方とそのまま重なっていたからです。

明治神宮の入口に立つ大鳥居

人の手で、植えた森

明治神宮は、明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社です。天皇の崩御から8年後の1920年に鎮座しました。まわりの森は、ずっと昔からあるように見えます。実際は違います。すべて人の手で作られた森です。

百年前、ここはただの農地でした。日本中から約10万本、350種を超える木が献木され、延べ11万人の青年たちが、約70ヘクタールに一本ずつ手で植えていきました。

設計した林学者たち(本多静六、本郷高徳、上原敬二)が計画したのは、永遠に手入れし続ける庭ではありませんでした。落ちた種から自分で再生していく森。植えた人間より長く生きる「永遠の杜」です。百年たって、まさにその通りの森になりました。作った人がいなくなっても残るように作る。この考え方が、ずっと頭に残りました。

名前で、称える

日本では昔から、神社や庭園は支援者の奉納で建てられ、保たれてきました。明治神宮では、それを目で見ることができます。参道のそばに、樽がずらりと並ぶ二つの壁があります。

明治神宮に奉献された菰樽(酒樽)の壁

ひとつは酒の壁です。全国の蔵元が毎年奉納する菰樽で、日本のものづくりと産業を前へ進めた天皇を称えています。その向かいにあるのが、フランス、ブルゴーニュのワイン樽の壁です。明治天皇が西洋の文化を受け入れ、ワインを好んだことにちなみ、2006年から奉納が続いています。樽の一つひとつに、贈った造り手の名が入っています。

寄進者の名が入ったブルゴーニュのワイン樽の壁

言ってみれば、何百年も前からあるクラウドファンディングの支援者ウォールのようなものです。神社を支えた人たちを、名前で、はっきり残す。歩きながら読める、感謝の形です。

神宮が、守る盆栽

展示は毎年6月のはじめ、本殿の東回廊で、日本水石協会とともに開かれます。日本中から選ばれた18点ほどの名木が、水石(自然のままの姿を愛でる石)とともに並びます。

明治神宮内で開かれる盆栽水石展の全体

その中心に立つのが、明治神宮が所有する盆栽です。立札に約120年と記された五葉松です。

明治神宮が所有する五葉松の盆栽、立札の表記は約120年

ここで足が止まりました。神宮は樹を所有していますが、自分だけで生かしているわけではありません。盆栽の職人が、季節ごとに手を入れ続け、所有者は神宮のまま。所有と日々の世話を、はじめから別々の手が持っているのです。

これはAzukariが引いている線と、ほとんど同じです。樹を所有するのはオーナー、生かし続けるのは作家。120年の松が神社の中でそうやって生きている姿は、このやり方が私たちの発明ではないという、いちばん確かな証拠でした。日本はずっと昔から、生きものをこうやって守ってきたのです。

花と、休む場所

盆栽は松だけではありません。花の盆栽もありました。そして展示のすぐ先、神宮の御苑には花菖蒲の田があります。明治天皇が皇后のために植えさせた約150種が、6月に満開を迎えます。

展示にあった花の盆栽(くちなし)

そのあとは、緑の中に座って、しばらく何もしませんでした。東京は、これが驚くほど豊かです。明治神宮の杜はそのまま隣の代々木公園(約54ヘクタール)につながり、少し足をのばせば新宿御苑(約58ヘクタール)があります。六義園、小石川後楽園、浜離宮、清澄庭園といった、街に点在する大名庭園もあります。

明治神宮の人工の森を抜ける小径

(日本三名園と呼ばれる金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園は、東京ではなく地方にあります。長めに滞在する理由になります。)

ビル群を背にした緑地と石灯籠

所有と、世話を、別々の手で

人の手で植えられ、百年かけて自分で生き続ける森。名前で残された支援者たち。神宮が所有し、職人が生かし続ける一本の松。明治神宮で見たものは、どれも「作った人がいなくなっても残るように作る」という同じ考え方でできていました。

樹を所有するのはオーナー、生かし続けるのは作家。Azukariが引いている線は、ここでずっと昔から続いてきたものです。私たちが世話をしている4本も、いつでも下のリンクから見られます。

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作家を知る →

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