
京都・天龍寺の曹源池庭園。池の縁に立つと、対岸の眺めを閉じているのは嵐山と亀山で、寺はそのどちらの斜面一つ所有したことがありません。この借景の記録は鎌倉時代(1185〜1333年)にまでさかのぼり、それを説明する技法に「借景」という名がつく、ずっと前から続いています。
この技法――借景(しゃっけい、庭の境界の外にある風景を構図に取り込む技法)――が前提にしているのは、少し奇妙なことです。庭にとって最も決定的な要素が、しばしば庭の所有物ではない、という前提です。
多くの造園の伝統は、境界を動かない事実として扱います。塀にはつる棚を這わせ、生け垣は刈り込み、視線はそこで止まるものとされます。借景は、この前提そのものを拒みます。庭の本当の縁は、視線が実際に止まるところにこそある――そう考え、その縁を、垣根の外へ、道の向こうへ、町の外へ、所有者が権利証を持つことなど決してない山にまで、押し広げます。
誰も所有していない山が、庭の仕事を担っている
天龍寺自身の説明も、まさにこの点を裏づけています。曹源池庭園は「借景」を用いており、「近くの山々を庭に取り込むことで、奥行きの感覚を与えている」といいます。寺の敷地とその先を分ける線がどこにあろうと、それは訪れる人の目に庭がどう映るかには関係ありません。山はその線の向こうにとどまったままです。山がつくり出す眺めのほうは、とどまりません。
この伝統の中で設計する者は、まず植物を選んでいるわけではありません。植物は手前の仕掛けであり、見る人の視線をいったんどこに着地させ、そこから庭には決して築けなかったはずの峰へと運んでいくための道具です。
生きたまま取り込むことは、借りることと同じではない
借景を、いわゆる普通の意味での「借りる」行為と読むのは自然なことです。まるで庭が、隣家から砂糖をひとさじ借りて、いずれ返すつもりでいるかのように。だが、この技法のもっと古い日本語の呼び名は、それが少し違うことを教えてくれます。
「借景」という言葉が定着する前、この技法は「生け捕り(いけどり、生きたまま捕らえることの意)」と呼ばれていました。借景という発想が文章として初めて現れる十七世紀の中国の造園書『園冶(えんや)』、そしてそこから日本に伝わった造園の系譜によれば、「生け捕り」という言い方は、「ここから山が見える」よりも強い主張をしています。山そのものが、生きたまま、まるごと、手を加えられることなく、庭の構図の中に捕らえられている、という主張です。買い取るのではありません。動かすのでもありません。取り込むのです――鷹匠が鷹を生け捕りにし、のちにまた空へ放つのに近い形で。
ここに、この技法が課す規律があります。借景をつくり出すために、何かを建てたり、植えたり、買い足したりしてはなりません。山は、もとからそこになければなりません。設計者の仕事のすべては手前――池の縁、木立の並び、生け垣の高さ――にあり、それを整えることで、見る人の視線は気づかれることなく、庭自身の土から、庭が決して触れることのない斜面へと歩かされていきます。天龍寺で嵐山の山並みを取り込む発想は、鎌倉時代にはすでに庭園設計の一部だったと伝えられており、「借景」という言葉そのものが使われるようになるよりずっと前のことです。この技法がもっとも広く用いられたのは室町時代(1338〜1573年)の庭園で、江戸時代(1603〜1868年)まで受け継がれていきますが、条件は常に同じでした。風景は構図の中に組み込まれるのであって、決して所有されるのではありません。
生け垣の刈り方が、境界を消せるかどうかを決める
借景の実際の技術は、その大部分が生け垣と塀と視線の技術です。庭の境界に、何を見せ、何を隠すかを、意図的に管理する仕事です。
京都北部の円通寺は、その仕組みがもっともはっきりと見て取れる場所のひとつです。四十ほどの石を配した苔の広がる庭園は、江戸時代初期、後水尾上皇のために営まれた離宮の跡地に造られました。京都市の公式観光サイトは、刈り込まれた生け垣と本堂の柱を手前に配することで比叡山を眺めに取り込む借景庭園として、この庭を紹介しています。この生け垣は装飾ではありません。相反する二つの条件を同時に満たすよう、細かく調整されています。比叡山のなだらかな稜線が庭自体の輪郭の延長として読めるほど低く、そして間にある道路や住宅、屋根の連なりを隠せるほど高く。刈り方が数センチ違えば、同じ比叡山も、単に塀の向こうにある風景に戻ってしまいます。この刈り方だからこそ、山は庭自身の遠い縁になります。
境界が人工的に作られていることへのこの敏感さは、借景がいかに壊れやすい技法であるかということでもあります。借景の山は、庭とその峰との間に何も新しく立ち上がらない限りにおいてしか、借景であり続けられません。京都が円通寺のような庭園の周辺で建物の高さや屋根の意匠を制限してきたのは、伝えられるところでは、まさにこの理由によるものです。額縁を取り払えば、同じ山が、庭を構図に引き込むもののない、ただの山に戻ってしまいます。計画性を欠いたわずか数メートルの建築が、何百年もの生け垣の手入れが築いてきたものを覆してしまいます。
これは、庭の外に持ち出しても使える見方です。どこであれ同じ技を仕掛けようとしている場所では、所有しているものと借りているものの継ぎ目を探してみてください。借景の庭は、その継ぎ目が見つからないほど、成功しています。
鉢は、実在しない風景さえ借りることができる
盆栽は、まさにこの本能を内側へ折りたたんだものです。庭は、塀の向こうのどこかに実在する山を借ります。盆栽は、どこにも実在しない風景――海沿いの断崖、高山の尾根、何十年もの風に削られた森の縁――を借り、それを幅わずか数センチの鉢に収まった一本の木のまわりに、築かずして、見る人に補わせます。
よく仕立てられた「懸崖(けんがい、崖にぶら下がるの意で、幹が鉢の縁より下に垂れ下がる樹形)」を見てみてください。鉢そのものは、ほとんど意識にのぼらなくなります。目を引きつけるのは、木が暗示する崖のほうです。幹の垂れ下がりは岩肌の落下として読まれ、鉢の縁は、木がそこからぶら下がっている崖の端として読まれ、もはや器としては見えません。誰も、その崖を築いてはいません。それが存在するのは、幹の角度と、先端に向かって間引かれた枝ぶりが、それを借り取ってきたからにほかなりません。刈り込まれた生け垣が山の稜線を借りてくるのと同じ動きを、葉ではなく木で行っているのです。
庭の設計者は、実在する山が庭に属して見えるように生け垣を整えます。盆栽の作家は、想像上の山や森や海岸が一本の木に属して見えるように、幹と枝ぶりを整えます。どちらも、誰も築いていない風景を見る人が完成させられるよう、何年もかけて目を訓練しているのです。
盆栽が鉢の中に風景を描く仕組みについては「盆栽は、小さい木ではない。」で、それを完成させる見る側の想像力については「見立てという遊び」で詳しく書いています。
Azukariが借りるものは、これと鏡合わせの方向にあります。木は、オーナーがおそらく足を踏み入れることのない土地にとどまり、オーナーが一度も会うことのないかもしれない作家の手で日々手入れを受けます。その距離を越えて届くのは、木そのものでも鉢そのものでもなく、季節ごとに届く眺めの記録です。借景という技法が四百年かけて山について証明してきたことは、木についても同じです。この形で保つ眺めは、劣った所有のかたちではありません。むしろ、もっとも決定的な所有のかたちでありうるのです。
参考リンク
- 天龍寺「境内案内」 — 曹源池庭園が「借景」によって近くの山々を構図に取り込んでいることについての、天龍寺自身による説明。
- Wikipedia「Borrowed scenery」 — 借景という発想が中国の造園書『園冶』に由来すること、天龍寺における借景が鎌倉時代にまでさかのぼること、室町・江戸期の庭園に広まっていった経緯についての解説。
- 京都市公式 京都観光Navi「圓通寺」 — 円通寺が生け垣を通じて比叡山を借景に取り込んでいること、江戸時代初期の創建についての、京都市観光当局による紹介。
- Bowdoin College「Japanese Gardens — Elements: Borrowed Scenery」 — 借景を設計原理として概観した学術的解説と、山に囲まれた京都の地形がその自然な舞台となった背景について。